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360年の歴史を貫く進取と革新のDNA

360年の歴史を貫く進取と革新のDNA

2022年6月23日
4249 森六ホールディングス
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およそ360年前に藍玉と干鰯(ほしか)の商いからスタートした森六グループは、時代の変化を的確に捉えつつ商材を拡大し、開発・生産機能を整備し、グローバルな事業体制を構築・拡充しながら着実な成長を果たしてきた。創業から今日まで連綿と受け継がれてきた進取と革新のDNAは、今もグループ社員一人ひとりの心のなかに生き続ける。

1663年、阿波国で藍玉と干鰯の商いを開始

 森六ホールディングスの創業は、徳川幕府4代将軍・家綱の治世までさかのぼる。

 たとえ、創業時のビジネスモデルがどれだけ優れていても、300年の長きにわたって発展を続けていくには、歴史の転換や経済社会の変化を的確に捉え、事業構造を変革し、新たな事業領域を開拓していく必要がある。森六の360年にもわたる沿革は、そのまま革新と挑戦の歴史にほかならない。

 森六は、1663(寛文3)年、当時の阿波国(徳島県)で創業した。森六初代の森安兵衛が「嶋屋」の屋号で青色染料の原料である藍玉と藍作の肥料になる干鰯の商いを始め、その後5代にわたり、嶋屋は順調に業容を拡大していく。

 森安兵衛の商いが革新的だったのは、第1に藍の将来性を的確に見通したこと、第2に藍作農家に肥料となる干鰯を売って、その代金を藍玉で受け取るという新たなスタイルを導入したことにある。生産者の負担を減らすこの方法により、森安兵衛は農家と販売先の双方から厚い信頼を獲得することになった。

江戸時代には藍染めが日本の庶民の暮らしに深く浸透していく。藍玉とその肥料の商いは、代を重ねるごとに発展を遂げていった

阿波藍から人造藍へ、日本から世界へ

 浦賀にペリーが来航した頃、6代目・森六兵衛が江戸進出を決断する。この時期に自身の名前から2文字をとり、「森六」を名乗るようになった。

 鋭敏な時代感覚を持っていた森六兵衛は、早くから海外に目を向け、1878(明治11)年には、三井物産の協力を得てパリ万国博覧会に阿波藍を出品、同社のパリ支店を通じて藍の委託販売にも挑戦した。

 他方、肥料事業の拡大にも心を砕き、1870(明治3)年には、北海道産ニシンの調達を効率よくするため、同業者と共同で江戸商船4隻を入手。北海道産ニシンの売買ルートを確保しつつ商圏を拡大していった。

 さらには明治半ば、ドイツで人造藍(インディゴ)の工業化がなされると、8代目・六郎は「これからは人造藍の時代が訪れる」と確信し、独ヘキスト社製人造藍の独占販売権を獲得した。

 阿波藍から人造藍へ、そして日本から世界へ――。こうして先人たちが身をもって示した開拓者精神は、その後も森六の屋台骨を支えるDNAとして、代々の経営者に継承されていくことになる。

明治中期の森六商店。この頃には、ビジネスの相手はすでに海外に広がっていた

ホンダへの部品供給を契機に、メーカー機能を備えた商社に

 森六はその後も明治の終わりまで、インド藍の輸入や内外肥料の問屋営業、染料・工業製品・ソーダ類の輸入販売、醤油醸造など、常に新たな事業や商材の開拓に取り組んでいく。

 1916(大正5)年3月には、「総本店森六商店」を改組して「株式会社森六商店」を設立。以降、1945年の終戦まで、森六は工業薬品や工作機械などの新領域に参入しつつ、その業容を着実に拡張していった。

 森六の新たな挑戦は、第二次世界大戦の余波がいまだ収まらない1949年に始まった。この年、森六は石油化学工業の勃興を見据えて塩化ビニールの取り扱いを開始し、後に森六グループの基幹事業となる合成樹脂ビジネスに先鞭をつけた。

 塩化ビニール事業を通じて、合成樹脂に対する技術と知見を蓄積した森六は1958年、高強度・高密度の低圧ポリエチレン「ハイゼックス」の取り扱いを始める。

 一方その頃、本田技研工業(ホンダ)が廉価かつ高性能な二輪車を生産するため、旧来の鉄板部品を代替できる樹脂製品を探していた。そして「ハイゼックス」の機能性と量産性に注目。製品供給を打診したのが、森六とホンダの今日に続く緊密な関係の端緒となった。

 しかし、二輪車におけるハイゼックス部品の実用化には、多くの障壁が待ち構えていた。当時、樹脂製品の用途はその大半が日用品や雑貨品であり、二輪用大型成形品の開発は森六にとっても初めてのことだったからだ。

ホンダのベストセラー二輪車「スーパーカブ」の樹脂部品を作ったことから、森六の樹脂加工メーカーとしての歴史が始まった

 森六の技術者たちは、成形収縮による変形に悩まされながら試行錯誤を重ね、最適な製造方法(射出成形法*)の発見と精密な金型の開発に成功する。

 森六が作ったフロントカバーやバッテリーボックスを搭載した「スーパーカブ」が発売されたのは1958年9月だった。同車は爆発的なヒット商品となり、発売後60年以上経た現在も、世界中で愛されている。

「スーパーカブ」が結んだ森六とホンダの縁はその後、より強固なものとなっていった。1962年にホンダが四輪事業への参入を発表すると、森六はスポーツ車「S360」や軽トラック「AK360」向けに合成樹脂製のフロントピラーやコラムカバーを納入した。

 ここで注目したいのは、森六がホンダ向け樹脂部品を手がけるなかで、研究開発と生産管理を主体的に担うようになったことだ。純然たる商社から、メーカー機能を備えた化学商社への進化である。

 自動二輪・四輪の部品だけでなく、特殊染料など工業薬品の開発にも注力する一方、M&Aによって製造会社を傘下に収めるなど、日本のものづくりを支える企業へと飛躍を遂げていくことになる。


*射出成形法 プラスチックなどの材料を加熱して溶かして金型に流し込み、その後冷却して中で固めることで製品を成形する製造方法
ホンダの四輪事業参入に伴い、1963年より四輪車の合成樹脂部品の納入を開始。軽トラック「AK360」(写真)の、合成樹脂による内装・外装部品を手がけた

6代目の志を受け継ぎ本格化するグローバル展開

 森六の凄みは、成功したビジネスモデルにとらわれることなく、確かな洞察力で時代の潮流をしっかりと見定め、業態や経営手法を革新していく、その柔軟性にあるといっていいだろう。1916年の株式会社化以降、森六は取扱品目を拡充するだけでなく、開発機能や生産機能を獲得するなど、常に業態の変革に努めてきた。

 1972年、時代に先駆けて、化成品、精密化成品、樹脂、製品の4事業部体制を発足させると、1980年には生産事業本部を設立。続く1982年には、樹脂成形加工事業の成長を踏まえて、社名を従来の「森六商事(株式会社)」から「森六(株式会社)」へと変更している。

 1980年代の半ばからはグローバル展開も本格化するが、これはパリ万博に阿波藍を出品した6代目・森六兵衛の志を受け継ぐものといえる。1986年、初の海外生産拠点GTI*を米国オハイオ州に設立すると、以降は軸足をアジアに移し、1994年のフィリピンに続き、インド、中国に生産拠点を設置するなど、グローバル体制の強化に邁進していく。

 顧客や市場の近くで部品製造を行い、顧客企業の生産活動を支えるとともに、地産地消経済の形成に貢献していく。それは、1980年代から現在まで変わることのない、森六のグローバル展開を貫く基本理念だ。

 森六は、樹脂部品生産と並行して商社部門の海外展開も加速し、中国、東南アジア、欧州、北米にまたがる世界ネットワークを構築していく。

*GTI GREENVILLE TECHNOLOGY,INC.の略称
1986年、オハイオ州にGTIを設立。当初はアメリカホンダモーターを含む合弁会社としてスタートしたが、1993年に100%子会社としている

QCDへのこだわりで結実した海外メーカーへの製品提供

 2008年、森六は社名を「森六ホールディングス」に変更するとともに、持株会社化して、傘下に「森六ケミカルズ」と「森六テクノロジー」の2つの事業会社を設立した。持株会社がグループとして一体感ある経営戦略を策定し、傘下の2社は迅速かつ効率的な事業運営に集中する。それによって企業価値のさらなる向上を図ることが体制改編の狙いである。

 その後も森六グループの進化は止まらない。タイ、韓国、インドネシア、メキシコに現地法人を設立し、海外ネットワークの拡充を図った。なかでもメキシコでは、2015年、フォルクスワーゲン(VW)社から新型SUV向けの部品を受注することに成功する。とはいえ、受注までの道のりは、決して平坦なものではなかった。

 VW社から部品供給に関して打診があった時、森六は海外自動車メーカーとの取引経験を有していなかった。見積もり提出の前段階として「開発監査」を受けたほか、営業から納品まですべてのプロセスにおける品質保証を100ページの書類にまとめてプレゼンテーションをするなど、2年をかけてVW社との関係強化に専心したという。晴れて受注した後も、仕様や要求精度、材料・工法の選択理由などの開示といった、VW社が求める厳しい要求への対応に迫られた。

 こうして森六が開発した樹脂部品は、ついに同社の生産ラインに導入されることになった。森六のQCD(品質、価格、納期)が海外の自動車メーカーに認められた瞬間である。

 世界の自動車販売数でトップを争うVW社からも評価され、信頼される森六の製品とサービス。社名を変え、本社所在地を変え、組織体制を変え、事業構造を変えてきた森六だが、QCDに対する徹底したこだわりだけは、変えたことがない。

初めて単独での進出を果たしたメキシコで、巨大な組み立て工場を持つVW社との取引開始にこぎつけた

フロンティア精神が次なるステージを切り開く

 森六ホールディングスは2017年、東証1部(当時)に上場し、長い沿革に新たな1ページを刻み込んだ。

 1部上場後も攻めの経営は変わらず、さまざまな取り組みに注力している。なかでも注目されるのが、社会のサステナビリティへの貢献――社業を通じての世界的な社会課題への対応だ。

 2022年3月には、2030年以降の持続的な成長を目指す指針として、「森六グループ サステナビリティ方針」を発表。森六ホールディングス社長直轄の「サステナビリティ推進室」を設置して体制を整えた。

 その主要KPIには、GHG(温室効果ガス)排出量削減率50%、再生可能エネルギー導入比率55%といった数値に並び、<社員意識調査結果の「社員エンゲージメント」「社員を活かす環境」肯定回答率60%以上>という先進的な目標が掲げられた。これからも持続的に成長し、社会に貢献していくためには、働きがいのある職場づくりが欠かせないとの決意表明は、まさしく持続的に成長してきた森六ホールディングスの“先進思想”といえる。

 伝統企業とは、旧来の事業形態や経営手法に固執する会社ではない。創業来の歴史と伝統を守るためには、刻々と変化する外部環境に即応し、常に事業と経営をアップデートしていくことが必要なのだ。

 森六グループは、創業から今日まで360年の長きにわたり、試行錯誤を繰り返しながら、それでも常に時代の最先端で市場を牽引し、成長を続けてきた。代々継承されてきた挑戦を重んじる企業風土と、社員のなかに息づくフロンティアスピリット。これが森六の成長力の源泉であり、次のステージを切り開く原動力なのである。

2017年、満を持して東証1部に上場。その後プライム市場を選択し、さらなる企業価値の向上を目指してさまざまな課題克服に挑んでいる

企業の沿革

●1663(寛文3)年
阿波国(現・徳島県)において阿波藍および干鰯の取り扱いを開始。

●1853(嘉永6)年
江戸に関東地区の販売本部を開設。

●1878(明治11)年
パリ万国博覧会に阿波藍を出品。

●1909(明治42)年
染料・工業製品・ソーダ類の輸入販売開始。

●1916(大正5)年
総本店森六商店を株式会社に改組(資本金は100万円。本店:徳島、支店:東京・大阪・神戸)。

●1927(昭和2)年
本社を大阪に移転(四国支店設置)。

9代目社長の森六郎氏。株式会社へ
の移行期に多大な貢献を果たした後、
1931(昭和6)年に社長に就任した

●1939(昭和14)年
食品用防黴剤の取り扱いを開始。近代化学品事業へとつながる。

●1949(昭和24)年
三井化学工業製の塩化ビニール製品を広く宣伝して市場開拓に尽力し、その大半を販売した。現在に続く樹脂部門への進出となった。

ガラス瓶保護に使われたネトロンも
塩化ビニール製品のひとつ

●1958(昭和33)年
高密度・高強度を誇るポリエチレン素材「ハイゼックス」の特約店に。同年にホンダの二輪車「スーパーカブ」用プラスチック成形部品を納入するために樹脂製部品を開発。このホンダとのやりとりをきっかけに、生産事業に進出することに。

●1963(昭和38)年
商号を森六商事株式会社に変更。

●1965(昭和40)年
三重県鈴鹿市に工場新設。本格的に自動車部品の製造がスタート。

竣工時の鈴鹿工場

●1968(昭和43)年
本社を東京都千代田区霞が関に移転する。日本で最初の超高層ビルである霞が関ビルディングに入居。

●1982(昭和57)年
商号を森六株式会社に変更。

●1986(昭和61)年
米国オハイオ州に現地法人GREENVILLE TECHNOLOGY,INC.をホンダと合弁で設立。以降、90年に香港、94年にフィリピン、96年にカナダ、インド、シンガポールに現地法人を設置し、着々とグローバル展開を進める。

●2008(平成20)年
森六株式会社を「森六ホールディングス株式会社」に商号変更し、新設分割により「森六ケミカルズ株式会社」ならびに「森六テクノロジー株式会社」を設立。持株会社体制へ移行した。

●2017(平成29)年
東京証券取引所 市場第1部へ株式上場。


森六ホールディングス IRレポート「サステナブルな社会に貢献するため 独自技術を基盤として新たな価値の創造に挑む」に続く
 

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