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未来に向け引き継がれた創業の志

「第三者」から「イネイブラー」へ 未来に向け引き継がれた創業の志

2023年10月18日
2488 JTP
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JTPは、海外のITメーカー向けにサード・パーティ・メンテナンスを行う企業として、1987年に誕生した。ハードウエアの時代から、ソフトウエアの仮想化を経てクラウドコンピューティングの時代へと絶え間なく変化を続けてきたIT業界にあって、同社はそのビジネスモデルを大きく変革させることで、独自の存在感を維持し、確固たる地位を築いてきた。先見の明で同社を創業したカリスマ型経営者と、後を引き継いだ2代目社長の苦悩と改革――。その波乱の歴史から見えてきたのは、親子2代にわたって引き継がれた創業の志であった。

日本になかった“サード・パーティ・メンテナンス”

 JTPの創業時の社名は、「日本サード・パーティ」。直訳すれば“日本の第三者”という意味だ。JTPの歩みをたどる物語を始めるにあたって、まずは創業者が“第三者”に込めた思いをご紹介しよう。

 創業者の森和昭氏は1940年生まれ。日本の情報サービス産業の草創期に、電気機器メーカー、外資のコンピューター関連企業、商社の社員として、ITビジネスの最前線を経験した。

 ターニングポイントになったのは、立石電機(現・オムロン)在籍中のアメリカ出張である。同社が開発・製造した精密機器を全米で販売することになり、森氏は保守・メンテナンスなどのサポート体制の構築を任されたのだ。国内なら、ユーザー企業のサポートは系列会社に委託すれば事足りる。しかし、アメリカには系列会社もツテもない。困難な仕事になることを覚悟して、森氏は日本を発った。

 そんななか、アメリカに向かう旅客機の機内でのこと。隣り合わせたアメリカ人のビジネスマンと親しくなり、雑談のなかで出張の目的を話したところ、こんな言葉が返ってきたという。

 「簡単じゃないか。サード・パーティ・メンテナンスに任せればいい」

 森氏はこの時初めて、欧米にはサード・パーティ・メンテナンス(TPM)と呼ばれるサポート専門の業態があることを知った。 サード・パーティは、「メーカーとユーザーの間に立つ独立した存在」という意味だ。メーカーが保守・メンテナンスまでを担ってユーザーを囲い込む。そんな日本の商習慣に慣れていた森氏は、TPMの存在に衝撃を受けた。アメリカに到着後、森氏は電話帳でTPMを探し、早速コンタクトをとった。全米に日本製機器のサポート網が構築されたのは、それからわずか2カ月後のことだった。

 帰国した森氏は、「海外のハイテクメーカーにとって、TPMが存在しないことが日本進出の障壁になっているのではないか」と思い至る。常々、「良いものは不均衡なく誰もが利用できるようにすべきだ。地域や資本、商習慣の違いが障壁となってはいけない」と考えていた森氏は、日本にTPMがあれば、情報サービス業界における障壁の解消に貢献できると確信したのだった。

日本サード・パーティを創業した森和昭氏(左)。その目論見どおり、同社の持つスキルを求める外国企業は、着実に増加していった

日本進出のためには欠かせない企業に

 1987年10月、海外ハイテクメーカーのメンテナンスサービスをサポートするTPM企業として、日本サード・パーティ株式会社(現・JTP株式会社)が産声を上げた。メンバーは森氏のほか、森氏が勤務してきた会社の同僚や部下たち10名。周囲から「威厳がある」「決断力がある」「独立心が旺盛」と評された森氏は、ひとことで言えば“カリスマ”であり、彼らはそのカリスマ性に惚れ込んで行動を共にしたのだ。

 最初の顧客は、当時の世界市場をリードしていた、アメリカのサン・マイクロシステムズ。日本サード・パーティは、同社が製造するCPUボードの修理サービスを受託した。創業間もない企業がこれほどの大企業と取引ができたのは、ひとえに森氏の豊かな人脈のたまものだが、海外のメーカーがどれだけ日本にTPMを求めていたか、その証左ともなった。

 保守・メンテナンス業務から始まった日本サード・パーティの事業は、ヘルプデスク、コンピュータやネットワーク機器の設置等を行うフィールドサービス、IT人材育成のためのトレーニングなど、次第にそのメニューを多様化させていく。取引先企業も、北米のほかヨーロッパ、アジアとその地域が拡大。日本サード・パーティは、日本進出のためには欠かせない企業として、海外メーカーのなかで着実に存在感を高めていった。

創業4周年を記念した祝賀会での集合写真。社員が増え、事業が順調に拡大している様子がうかがえる

後手に回った移行の判断

 1990年代後半から2000年代初頭にかけて、アメリカ発のITバブルを契機に、日本でも“IT”という言葉が浸透しはじめる。この頃に日本サード・パーティに入社したのが、創業者・森和昭氏の次男であり、現在の代表取締役社長である森豊氏だ。

 森豊社長は、アメリカで経営学とECビジネスを学んだ後、2002年に入社する。実質的な社員として仕事をする前に、ネットワーク機器開発会社に出向したことが、自社を俯瞰的に見る目を与えたのだろうか。森豊社長は、当時の事業環境について「潮目が変わってきた」と感じていたという。

 創業以来の日本サード・パーティを支えてきたのは、オンプレミスを前提とした事業である。オンプレミスとは、メーカーが提供するサーバーやネットワーク機器、ソフトウエアなどを、ユーザーが自社で保有・運用することを指す。しかし、2006年にはAWS(Amazon Web Services)がサービスの提供を開始するなど、仮想化とクラウドコンピューティングの時代が幕を開けようとしていた。

 「外資系のベンダーサポートや、ITメーカー・医療機器メーカーのサポートだけでは、遅かれ早かれ立ちゆかなくなる。そんな危機感がありました」(森豊社長)

 日本サード・パーティは2006年に旧ジャスダックへの上場を果たし、2008年3月期には過去最高益を達成する。しかし、3年後の2011年3月期には赤字決算に陥ることに。これに追い打ちをかけたのが、2011年3月に発生した東日本大震災である。物流、ライフラインに大混乱を来した未曾有の大災害を教訓として、業種を問わず多くの企業がBCP(事業継続計画)に本腰を入れるなか、IT企業はデータの損失を回避するために物理的なサーバーへの依存度を減らすようになった。つまり、クラウド化が一気に加速したのだ。

 こうしたIT業界の潮流に対して、日本サード・パーティは後手に回った。その背景には、システムやハードウエアを販売するメーカーを主な取引先とするビジネスモデルゆえの事情もあった。さらに2009年には、森和昭社長の病気が判明した。2014年、闘病の甲斐なく森和昭氏が逝去。業績不振が続くなか、執行役員として経営に加わっていた森豊社長が、後継の代表取締役社長に就任した。

2012年、創立25周年を記念した式典を実施。小泉純一郎氏や元サン・マイクロシステムズのスコット・マクネリ氏(写真)を招いての豪華な講演会も行われた。ただし、当時の経営環境は非常に厳しく、業績は低空飛行が続いていた。なお、マクネリ氏は後にJTPの最高経営顧問に就任し、同社の経営を支えている

刷新された企業文化がもたらしたビジネスモデル

 社長就任後、森豊社長がまず手を付けたのは、ビジネスの主軸をクラウドコンピューティングに移行させることだ。しかし、そもそも対応できるエンジニアの養成が進んでいなかった。また、従来のサポート業務は先代の人脈によって支えられていた部分もあり、取引件数自体が減っていった。創業以来のビジネスモデルは崩壊し、業績は低空飛行を続けた。

 克服すべき課題はまだあった。トップが会社の隅々にまで目を配って指示を出す環境では、社員のリーダーへの依存度も高くなり、ともすれば自発性も失われがちになる。カリスマ型経営者に率いられた企業の多くが抱える、負の側面である。森豊社長は、当初は先代のスタイルをなぞり、社内のあらゆる会議で細かい指示を出したという。ところが、気づけば社員の大量離職を招き、女性役員の登用を図ろうと就任を打診すれば、「魅力を感じない」と拒否される始末だったという。

 「自分は父と同じようにはできない。創業者の能力と自分の能力は同じではないことを痛感しました。無理して威厳を出そうとするのも限界でした。そこまできてようやく、会社に残ってくれた、それでも当社を支えようとしてくれる社員の助けを借りればいいんだと考えるようになりました」(森豊社長)

 こうして企業の変革が始まった。森豊社長は、命令ではなく議論を大切にして、最終的な判断は現場に委ねた。その結果がどうであれ、自身の責任として受け取った。失敗は改良のためのネタと考えてチャレンジを評価し、失敗から学んだことを尋ねた。怒ることをやめ、自身を含めて社員同士を「さん」づけで呼ぶことにした……。もちろん文化を変える努力だけでなく、人材開発にもリソースを投下し、社員にも変化を促した。

 そこから徐々にではあるが、社員が自発的に考えるイノベーティブな企業文化が醸成されていくとともに、業績も回復していったという。

 組織が有機的になると、おもしろいものは現場が持ってくる。現在のJTPが最も注力する「Third AI」は、若手エンジニアの発案で始まったものだ。これはコンタクトセンター(かつてのヘルプデスクに相当)の業務にAIを簡便に活用できるように、顧客にプラットフォームを提供するという事業だ。同事業を立ち上げたプロジェクトチームは、今では数十名規模の部署となり、新たな事業を生み出す原動力となっている。

 こうしてJTPは、新たなビジネスモデルを確立。エンドユーザーにソリューションを提供する企業に生まれ変わった。その事業セグメントは、デジタルイノベーション(AI、セキュリティソリューションの開発等)、ICT、ライフサイエンス(医療現場のDX支援等)などに広がり、2022年度(2023年3月期)の売上高は、ビジネスモデルの転換期(2015~2018年)から飛躍的な成長を遂げている。

朝礼でスピーチする森豊社長。命令ではなく議論や対話を重視した経営スタイルが奏功し、社員の意識が徐々に変化していくとともに、業績は回復に向かっていった

業界随一のイネイブラーへ――受け継がれる創業者の思い

 JTPは創業35周年の節目を前に、社名を変更した。新たな社名は「日本サード・パーティ」(Japan Third Party)の頭文字をとったもので、以前から、顧客より「JTPさん」と呼ばれていたことにちなむ。親しみを持つ人たちとのつながりを大切にしつつ、“日本”を外すことで、多様な人たちと関わりながら、グローバルにビジネスを広げていく。新社名にはそんな意欲が込められた。

 JTPが新たに取り組むグローバル展開のひとつが、インドのスタートアップを発掘して、日本で成功させるというもの。そしてもうひとつが、IT人材不足解消への貢献である。“2025年の崖”と呼ばれる日本のIT業界の喫緊の課題としてエンジニア不足が叫ばれるなか、優秀な外国人エンジニアの募集から面談、インターンシップ、日本への受け入れまでをワンストップでサポートする「Reinforce HR」が始動している。

 新たなJTPを象徴するのが、顧客の変化である。クラウドコンピューティングへのシフトは、顧客が従来のメーカーから、エンドユーザーに移行することにつながった。知識も人材も乏しく、自らクラウドを構築するのが難しいユーザー企業に対して、JTPではクラウドの構築と運用を請け負うのではなく、“ユーザーが自走できるように手伝う”――ユーザーのビジネス課題をITで解決する――というスタンスを表明している。

 JTPではこうした企業のあり方を、“イネイブラー”(enabler)と呼び、2030年までに「業界随一のイネイブラー」を目指すとしている。最も身近な第三者として顧客に寄り添い、短期的な収益を追求するのではなく、困りごとがあるときに先方から自発的に声がかかる関係性を築く。これが、森豊社長の考えるJTPの将来像である。

 およそ35年前、創業者の森和昭氏は、海外のより良いサービスを国内に提供するため、日本と海外の間にある障壁を解消する存在になることを願った。時代が移り、業界を取り巻く環境も大きく変化したが、「Reinforce HR」や“イネイブラー”にもまた、「良いものは誰もが利用できるようにする」「それを妨げる障壁を解消する」という思いが貫かれている。

 顧客のビジネス課題から技術課題を一貫して解決できる存在へ。イネイブラーとして、JTPの挑戦は続いていく。

海外来賓とのミーティング時の1枚(前列左に森豊社長)。JTPの顧客対象はメーカーからユーザーへと創業時から大きく変わったが、「顧客の困りごとを解決する」という志は変わっていない

沿革

●1987年(昭和62年)
海外ハイテク機器メーカーの日本市場参入における際の技術サービス支援を目的として、東京都港区に日本サード・パーティ株式会社を設立

●1992年(平成4年)
本社にトレーニングセンターを設置、教育事業に進出

●1994年(平成6年)
ライフサイエンス部門で化学分析機器サービス事業に進出。2003年には医療機器サービス事業にも進出している

●2006年(平成18年)
6月、ジャスダック証券取引所に株式を上場
ジャスダック上場記念写真

●2012年(平成24年)
世界標準のITスキルアセスメントテスト「GAIT(ゲイト)」の提供を開始
GAITロゴ
GAIT(ゲイト)とは、Global Assessment of Information Technologyの略で、JTPが開発した、ITエンジニアのスキルを定量的に評価するためのアセスメントツール。2022年7月時点の実績で、400社以上、12万人以上の受験実績がある

●2015年(平成27年)
ロボティクス事業に進出、ヒューマノイドロボット:NAOに関するサービスを開始

●2017年(平成29年)
AI事業に進出、「Third AI(サードアイ)」の提供を開始
Third AI logo

●2019年(平成31年)
インド・デリー支店を開設

●2021年(令和3年)
日本サード・パーティ株式会社からJTP株式会社に社名変更


JTP IRレポート
「IT業界の世話焼き人“業界随一のイネイブラー”を目指す」に続く