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さらなる成長を遂げて「皆の幸せ」を目指す

「『夢』と『幸せの三角形』」を回そう さらなる成長を遂げて「皆の幸せ」を目指す

2024年1月25日
4996 クミアイ化学工業
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海外を飛び回る仕事がしたいと入社し、実際に海外営業担当として海外売上高の増大に多大な貢献を果たし、相応な地位も得た。そんな順風満帆な会社人生に「最大のターニングポイント」が訪れた――。農薬メーカーとして、長年世界の農業を支えてきたクミアイ化学工業。現在その舵取りを担うのが、代表取締役社長の高木誠氏である。氏にとって「最大の財産となった」という転機での判断には、現在の姿につながる学びがあった。高木社長の半生を追った。

英会話レッスンに通っていた少年時代

 高木誠社長は、1957年、JR静岡駅近くの繁華街にほど近い、祖父の代から続く寿司屋を営む家で生を受けた。通学路はアーケード街、遊び場は家康公ゆかりの駿府城跡という環境で、高木社長は大らかに成長した。

 両親は、勉強を奨励した。そのきっかけは、高木社長の3歳上の兄が入院を経験したことだった。退院後、世話になった医師に感銘を受けた兄が、「医者になる」と宣言。両親はできる限りのことをして、その夢を応援しようと決めたのだ。その教育熱が高木社長にも及んだ。学習塾はもちろん、中学生の頃にはネイティブ講師の英会話レッスンにも通ったという。

 「まったく迷惑な話ですよ」と高木社長は笑うが、おかげで英語力が向上しただけでなく、外国人とのコミュニケーションに壁を感じなくなったことは、後に大いに役立つこととなった。ちなみに兄はその後、見事に夢をかなえて医師として活躍している。

       小学校低学年の頃の高木社長。家の周囲は商店街で、もっぱら
       お堀のある駿府城跡の公園で遊んでいたという

芽生えた海外志向と“人のマインド”への関心

 「将来は海外で仕事がしたい」。そんな憧れを抱くようになったのは、小学校の頃のことだった。父方の叔父がセールスエンジニアとして世界中を飛び回っており、帰国のたびに聞かせてくれる土産話に胸を躍らせたのだ。進学先に慶應義塾大学工学部(現・理工学部)を選んだのも、叔父が工学部出身だったためである。

 もっとも、大学での専攻はエンジニアを目指すコースではなく、インダストリアル・エンジニアリング。人間工学や心理学を用いて、生産工程の効率化や品質改善の方法を研究する分野である。ここでは高木社長が特に印象に残ったという、「ホーソン実験」を紹介しよう。

 20世紀初頭のアメリカで行われたホーソン実験は、何によって工場の生産性が向上するかを探る試みだ。具体的には、照明などの工場内の環境と作業精度の関連を調べたのだが、そこからわかったのは、環境以上に作業員の感情が作業に影響することだった。

 「一見無機質な生産工程にも、人間のマインドが大きく関わることを知って目から鱗が落ちました。私の仕事観は、この時の気づきに支えられていると思います」

 後年、会社を率いることになった際に、高木社長が社員のモチベーションに着目したことと、大学時代の学びは無縁ではないだろう。

入社したクミアイ化学工業では、入社後数年の後に念願だった海外を飛び回る仕事に就いた。写真は中国にて

「まるで魔法」と実感した農薬の大切さ

 高木社長がクミアイ化学工業と出合ったのは、社長の海外への憧れを知る人物による紹介がきっかけだった。当時のクミアイ化学工業は、売上高の5割以上を海外事業が占める現在の姿にはほど遠く、海外志向の就活生の選択肢には入らなかったはずだ。紹介がなければ同社との縁はなかったにちがいない。

 1981年、高木社長の社会人生活がスタートする。最初こそ社長室(現・経営企画部)への配属だったものの、数年の後に海外事業を推進する国外部へ異動を果たした。念願だった海外を飛び回る仕事が始まった頃のことを、高木社長はこう振り返る。

 「アメリカやブラジルの港で荷揚げされる巨大なコンテナを見た時には、『自分があの荷物を動かしているんだ』と身震いしました。農薬によって雑草が抑制され、作物が元気になる様子はまるで魔法です。農家の方々が喜ぶ姿を見て、農薬の大切さを実感しました」

海外営業では当初米州を担当。北米から南米のブラジル、アルゼンチンを飛び回った。写真はブラジルでのひとコマ

商品力と大らかな人間性を武器に海外で躍動

 クミアイ化学工業の農薬は、最終製品が輸出されることはほとんどない。国によって気候や耕作の条件が異なるため、当地のパートナー企業に原体(有効成分)を販売し、現地で製品化する。細かくニーズを調整しながらの価格交渉は、一筋縄ではいかない。しかし、ここで高木社長は、外国人にも物怖じしない持ち前のバイタリティをいかんなく発揮した。

 「どれだけ厳しい交渉相手でも、歩み寄れる瞬間があるんです。妥協点を見いだした達成感は大きくて、お互いに『俺たちはよくやったな。よし、飲みに行こう』となるのがお決まりでした(笑)」

 世界の農業は大豆などの畑作が中心である。稲作中心の日本の農薬メーカーの商品ラインアップと世界市場とのギャップは否めない。クミアイ化学工業も同様だった。「しかし」と高木社長は語る。

 「『Kumiai』の商品は唯一無二だと、高い評価を受けていました。この商品力で南米やアジアの稲作地域を攻める。これが初期の方針でした」

 やがて、日本ではほとんど生産がない棉用の除草剤をデュポン社と共同開発するなど、農薬メーカーとしてラインアップが整い始めると、交渉相手も拡大。高木社長の渡航先は、40カ国を超えた。

 国外部長として海外事業を統括していた2011年に、現在のクミアイ化学工業の成長を牽引する画期的な畑作用除草剤「アクシーブ」の販売が始まると、同社は世界の農薬市場で一定の存在感を放つまでに成長した。

 この間、高木社長はその経験と見識が社外でも認められ、農薬工業会の国際委員長に選出され、諸外国との知財保護の交渉にあたるなど、業界にも貢献していた。しかし、順調にキャリアを築いていると思われたこの頃、高木社長は予想外の事態に見舞われることになる。

海外ではタフな交渉の後に農家の方から食事に招待されることも。写真はロシアで招待された時のもの

子会社社長として人と組織を考え抜いた

 高木社長自ら「人生最大のターニングポイント」と呼ぶ出来事が起こったのは、2012年のこと。グループの子会社に社長として赴任せよとの辞令が下ったのだ。

 行き先はまったく門外漢の印刷加工会社だった。農薬一筋のキャリアが白紙に返る人事に、高木社長は大いに当惑したという。それだけ自身のキャリアへの自負もあった。浮かんでくるのは、「なぜ自分なのか」という疑念ばかりだった。

 うろたえるばかりの高木社長の背中を押したのは、夫人のこんな言葉だった。「ご家族を含めたら数百人の生活を支える仕事なんでしょう? 落ち込んでいるヒマはないんじゃない?」

 高木社長は、このひと言で我に返った。辞令を受け入れ、グループ会社の日本印刷工業に着任した。

 お茶の包装資材メーカーとして始まった同社は、お菓子のパッケージや包装材を扱うグループの一翼を担う存在だ。しかし、時代は多くの企業・業界に変革を求めており、同社にも言いようのない閉塞感が漂っていたという。そこで高木社長は、社員のマインド改革に取りかかった。

 積極的に社員とコミュニケーションをとり、「商品を手にした喜びが増すデザイン、輸送に耐える機能性を提供して、生活に彩りを添えているんだ」と、印刷加工業の意義を説き続けた。まずはじめに仕事へのモチベーションを喚起しようとした高木社長の脳裏には、大学時代の学びの影響もあったことだろう。

 さらに高木社長は、「『夢』と『幸せの三角形』」という社内コンセプトを考案した。

 「何でもいいから夢を持とう、と伝えました。会社はあなたの努力を見ているし、成果には報いる。そうすれば、夢がかなって幸せになれる。それを実感してほしかったんです」

 幸せを実感すれば人はまた努力をする。「『夢』と『幸せの三角形』」はその循環を“見える化”するものだ。この三角形の循環が回り始めると、成果は業績として表れるようになった。

 寝耳に水の人事から3年後、高木社長に「戻ってこないか」と連絡が入る。「子会社でのがんばりを見ていた人がいた。それが何よりうれしかった」と高木社長は語る。社員たちに訴えた「会社はあなたの努力を見ているし、成果には報いる」を自ら体現するような3年間は、自身にとって大きな財産になっている。

2021年、前社長の小池好智氏からバトンを託された

目指すのは「皆の幸せ」

 2021年、高木社長は小池好智前社長(現・相談役)からバトンを託される。会社復帰の経緯から指名はある程度予想できたが、そのタイミングはいささか唐突だった。この時、クミアイ化学工業は中期経営計画(2021~2023年度)の期間中で、事業領域拡大のための種まきのさなかだったのである。

 「前中計は数値目標を前倒しで達成するほど好調で、社内には『新たなチャレンジをしていこう』という雰囲気が生まれていました。小池相談役は、新たな船出には今がふさわしいと判断したのではないでしょうか」

 就任にあたって、高木社長は次の3つの方針を掲げた。「サステナビリティ経営の推進」「プライム市場への移行に合わせたさらなるガバナンスの強化」。そして、「夢の実現へ、全てのステークホルダーの幸せを追求」である。もちろん3つ目は、「『夢』と『幸せの三角形』」を導入したものだ。

「『夢』と『幸せの三角形』」を説明する高木社長

 現在、社長室に通じる廊下には、社員が夢を書き込んだ無数の絵馬が飾ってある。「目指すのは皆の幸せです」と高木社長は語る。

 「SDGsも、その趣旨は『自分の幸せを皆の幸せにつなげること』だと受けとめています。この三角形が回り続ける限り、会社は続いていくはずです」

 クミアイ化学工業は、2023年12月、高木社長の就任後初となる中期経営計画「Create the Future ~できる。 をひろげる~」を発表。新中計では、好調のうちに終えた前中計を引き継ぎ、着実な成長をもたらす事業戦略をより具体的に示した。高木社長が目指す「皆の幸せ」とともに、その進捗が注目される。

profile
高木 誠(たかぎ・まこと)
1957年、静岡県生まれ。1981年にクミアイ化学工業入社。2005年同国外部長、2012年に同理事国外部長。2013年、グループ企業の日本印刷工業代表取締役社長を経て、2016年クミアイ化学工業常務取締役に就任。以後、常務取締役経営管理本部長、専務取締役経営管理本部長を経て、2021年11月に代表取締役社長に就任。

 

「IRレポート」で高木誠社長にインタビュー
「設立75周年の農薬メーカーが見据える大ヒット商品の次の一手」