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海外経験で身につけた独立心を糧にして

海外経験で身につけた独立心を糧にして

2023年9月1日
6490 日本ピラー工業
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半導体洗浄装置向けの継手のメーカーとしてグローバルシェア90%*を誇り、直近の2期においては連続で過去最高業績を達成するなど、日本ピラー工業が好調だ。同社を率いるのが、創業家出身の4代目社長である岩波嘉信氏である。100年企業が積み重ねてきた技術力と営業力を活かしながら、さらなる成長のための改革を続ける岩波氏の半生を追った。

* 日本ピラー工業調べ

「勉強やったるわ!」で胆力を養った浪人時代

 岩波社長は1979年、兵庫県神戸市に生まれた。生家は曽祖父の嘉重氏に始まる日本ピラー工業の創業家である。祖父の薫氏と父の清久氏(現会長)も社長を務めており、周囲は当然、創業家の長男に4代目となることを期待しただろう。

 岩波社長も成長するにつれて生家の状況を理解するようになっていった。しかし、「いずれはそうなるかもしれない」と思いながらも具体的なイメージを持てなかったし、清久氏から「うちの会社に入れ」「将来は社長に」と言われた記憶もないという。
 

            まだあどけなさの残る5歳の頃の岩波社長

 岩波社長は自らの子供時代を振り返り、「何をやっても長続きしない、胆力がない子供でした」と話す。私立中学の受験を勧められたものの、まともに勉強しなかったため、結果は不合格。高校受験も大学受験も、辛うじて受かったのは滑り止めだけだった。

 大学受験が不本意な結果に終わり、「浪人して志望大学を目指したい」と家族に告げた岩波社長は、父に「このまま入学したらどうか。生活態度を見ていると、今年受かった大学にも来年受かる保証はない」と言われて発奮する。

 「勉強やったるわ!」と啖呵を切ると、友人との付き合いを一切断って猛勉強を開始。翌年、見事に神戸大学経営学部に合格した。

 「先が見えなくても、コツコツと取り組めば成果として返ってくることを身にしみて知りました。それから少しは胆力がついたように思います」(岩波社長)
 

海外で気づかされた大切なこと

 神戸大学に入学した岩波社長は、希望の大学に入学したものの、学内での勉強だけでは満足できず、海外への一人旅に夢中になった。

 新たな好奇心を満たすべく、夏休みにはアルバイトで稼いだお金を海外旅行にすべて費やした。英語が通じない国ではバスや電車の絵を描いて乗り場を尋ねながら、学生時代だけで南北アメリカ、ヨーロッパの30カ国以上を訪れた。
 

岩波社長は旅先から必ず祖母に便りを送っていた。その量からも、非常に多くの国を渡り歩いてきたことがうかがえる

 さらに一人旅だけでなく、大学4年生の時には、交換留学生としてスウェーデンにある北欧諸国で最も大きな大学のひとつであるヨーテボリ大学で1年間を過ごしている。

 スウェーデンは人口800万人規模(当時)ながら、ボルボやイケア、エリクソンなどの著名な世界的企業が多いインターナショナルなマインドを持つ国だ。文化も経済規模も多種多様な国々を肌で知った岩波社長は、猛勉強に明け暮れた浪人時代と並んで、この頃の海外経験を人生のターニングポイントにあげる。

 「海外で出会った同世代の若者たちは、将来のキャリアプランをしっかり持ち、生活費や学費を自力で賄うなど、バイタリティにあふれていました。私も組織や他人に依存せず、必要とされる人間にならなければいけない。やるべきことを自分で見いださなければ、と考えるようになりました」

 この頃から、岩波社長は日本経済新聞を毎日すみずみまで読むことを自分に課している。自分を成長させようとするこの第一歩が、後に貴重な経験をもたらすことになる。

バックパッカーとして30カ国以上を渡り歩いた

目の当たりにした飛躍する企業の活気

 スウェーデンへの交換留学から帰国したのは6月。すでに就職活動が終了しつつある時期外れに就職活動を始めた岩波社長は、留学経験者向けの就職フェアが開かれることを知って参加を決める。何より興味をひいたのは、総合空調企業のダイキン工業が出展していたことだった。

 今や日本を代表するグローバル企業であり、売上高約4兆円を誇るダイキン工業だが、当時の売上高は1兆円に満たない。海外進出への積極的な展開を図るタイミングで、国内外で注目され始めたところだった。大学卒業後も海外を飛び回る仕事をしたいと考えていた岩波社長は、熟読していた日経新聞の記事で同社の海外展開を知り、大いに魅力を感じていたのだ。

 この時に開催された留学者向け就職フェアは、2年以上の留学経験が条件であった。実は岩波社長はその条件を満たしていなかったのだが、同社の担当者に直談判し、採用に至った。ちなみに、岩波社長が父親の清久氏に就職を報告すると、清久氏が驚いてダイキン工業へあいさつに出向いたという後日談がある。両社がふっ素樹脂の調達で取引があることを、岩波社長は知らなかった。

 ダイキン工業では、海外志向の岩波社長の希望通りグローバル戦略本部に配属されたが、担当したのは予算関連の業務が中心だった。

 「希望していた海外を飛び回るような機会は多くはありませんでした。しかし、破竹の勢いで海外拠点を拡大したり、大型のM&Aに成功したりするなど、今まさに飛躍しようとする組織の活気ある雰囲気を知ったことは大きいですね」

大学卒業後はダイキン工業に就職。活気あふれる職場で貴重な時間を過ごした

海外拠点の開設で手腕を発揮

 社会人生活が3年目に入った頃のこと。ビジネスの経験が心境に変化をもたらしたのだろうか、「いずれはそうなるかもしれない」と思うだけだった、日本ピラー工業で働くイメージが現実味を帯びるようになり、岩波社長はダイキン工業を退社。アメリカの最難関大学のひとつであるエモリー大学に留学してMBAを取得した後、2010年に日本ピラー工業に入社した。

エモリ―大学留学時の写真。左端に岩波社長の姿が見られる

 入社以降は、メーカーの根幹である生産本部の仕事を経験。2014年には営業本部グローバル事業推進部長に就任する。この時期は、日本ピラー工業のさらなる成長に向けて海外事業の拡大が必要という課題が社内でも共有されており、拠点整備が急務となっていた。

 実際、岩波社長のグローバル事業推進部長就任後は、UAE、タイ、メキシコ、中国、ドイツ、インドネシア、インドと海外拠点の開設が加速。成長する市場や地域を的確に見据えた積極的な海外展開は、同社の海外売上高比率を押し上げる布石となった。

 そして、2020年に代表取締役社長就任。創業家4代目の社長となったことについて、岩波社長は次のように語る。

 「企業経営者は、ステークホルダーから功績が認められた人物がなるものです。一方、創業家出身者は、社長の地位が約束されたように見られがち。そういう見方がついてまわる以上、社長になってからも人一倍努力をし、そのイメージを実績で払拭しなければならないと強く思いました。『こいつに任せたからこそ、さらに良い会社になった』と言われるようにしたいと思っています」

日本ピラー工業入社後には積極的な海外展開を推進した(滁州ピラー開所式での一幕)

100年の歴史とチャレンジ精神

 2024年に創業100年を迎える日本ピラー工業は、市場実績が豊富なことはもちろん、その歴史において赤字に陥ったこともほとんどない。その企業風土は、岩波社長いわく「牧歌的」で、社外の人に紹介する際、岩波社長は愛着を持って「良い人が集まっている良い会社です」と話す。

 しかし、これまでになく市場が激しく変化する現在、100年企業がさらに成長するには、社員全員がベンチャー企業のようなチャレンジ精神を持ち、組織には柔軟性とスピード感が求められる。

 岩波社長は、就任後間もなく業務改革に着手している。就任は2020年6月だから、新型コロナウイルス感染症による最初の緊急事態宣言の直後だ。多くの企業が先行きの不透明感に戸惑っていたなか、岩波社長はこれを成長を準備する機会と捉えて、業務時間の大幅カットを目標に業務の効率化と電子化を推進。生産性を高めて筋肉質な経営体質を作ったうえで、余剰の時間を次代の成長ドライバー創出のための取り組みに充てることとした。業務改革は今も継続中である。

 現在、日本ピラー工業は2023~2025年度を実施期間とする中期経営計画「One2025」を推進中だ。この名称の「One」にはいくつもの意味が込められているが、そのひとつが「Day One」。「創業1日目の開拓精神・チャレンジ精神・目的意識」を指す。

 「歴史の積み重ねはバトンをつないでいくようなものです。創業者の曽祖父・嘉重から3代にわたる経営者が、それぞれのリーダーシップでより良い会社に育ててバトンを渡してきたわけです。そのことを皆さんに理解いただけるような4代目の時代にしたいですね」

 ターニングポイントを重ねながら自らを成長させてきた岩波社長。100年企業にもたらす改革は、次の100年に向けた大きなターニングポイントとして記憶されることになるだろう。

profile
岩波 嘉信(いわなみ・よしのぶ)
1979年、兵庫県生まれ。ダイキン工業株式会社を経て、2010年に日本ピラー工業株式会社入社。同年執行役員、12年に取締役、13年に生産本部副本部長、14年に営業本部グローバル事業推進部長、常務執行役員に就任。以後、専務執行役員、営業本部長を経て、2020年6月に代表取締役社長に就任。



 

岩波社長が率いる日本ピラー工業のIRレポートはこちら
「積み上げてきた会社力でさらなる躍進へ」