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開示義務化! 「人的資本」 の見方

開示義務化! 「人的資本」 の見方

2023年4月13日
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「人的資本」 の開示が義務化される。 金融庁が2023年1月31日に 「企業内容等の開示に関する内閣府令」 等を改正、 公布 ・ 施行したことにより、 2023年3月期決算以降の有価証券報告書を発行する企業約4,000社は、  「人的資本に関する」 情報の記載が求められる。 どのような経緯で義務化されるに至ったのか。 開示が求められるのはどのような情報か。 サステナビリティ情報開示コンサルティングに携わる野村インベスター ・ リレーションズの佐原珠美に聞いた。

野村インベスター・リレーションズ株式会社
サステナビリティコンサルタント
佐原 珠美 (さはら ・ たまみ)

なぜ 「人的資本」 が注目されているのか

──なぜ今、 「人的資本」 が注目されているのでしょう?

佐原 1776年に出版された 『国富論』 でアダム ・ スミスが人材を 「資本」 と捉える記載をしていますから、 少なくとも250年ほど前にはすでにあった概念なのですが、 近年になって 「人的資本」 が見直されるようになったのは、 ESG投資の普及によって、 売上高や収益などの業績を表す財務情報だけでなく、 知的資産や人的資産といった 「無形資産」 の重要性が増してきたことが影響しているようです。 人的資本は、 ESGの 「S (Social : 社会)」 の評価に関わる重要な要素ですから、 持続可能な企業であるかを判断する際に、 人材戦略や人事施策への投資や、 その成果が重視されるようになったのです。
 

──ESG投資の盛んな米国や欧州でそういった機運が先行して、 やがて日本にも到達したということですね。 

佐原 そうですね。 それに加えて、 日本の場合はGDP (国内総生産) に占める企業の能力開発費の割合が先進諸国のなかで低いことも課題となっていました。 長期的に見て、 労働生産性の向上が阻害されかねないとの懸念が高まっていたのです。 2021年10月に発足した岸田文雄政権は、 経済政策として掲げた 「新しい資本主義」 において 「人への投資」 を第1の柱に据えており、 今回の 「人的資本」 の開示義務化はこの流れを汲むものといえます。



 

有価証券報告書に何が記載されるのか

──経済産業省が2020年9月に公表した 「人材版伊藤レポート」 では、 企業価値向上のための 「人的資本」 の重要性が提言されていますね。

佐原 日本では、その改訂版にあたる 「人材版伊藤レポート2.0」 が2022年5月に公表されたのをきっかけに、 多くの企業が 「人的資本」 に関する課題を認識するようになりました。 このレポートにも書かれていますが、 人材というのは、 かつては 「人的資源 (Human Resource) 」 として捉えられることが多く、 今すでにあるものを使う、 消費するということを意味していました。 人材に投じる資金はコスト (費用) として捉えられていたのです。

──それが、 人材を資本と見なす考え方に変わると、 人材への投資はどのような意味合いになるのでしょうか。

佐原 「人的資本 (Human Capital) 」 という捉え方においては、 人材は教育や研修、 また日々の業務などを通じて成長し、 付加価値を生み出す担い手になります。 つまり、 人材に投じる資金は、 価値創造に向けた 「投資」 となるわけです。 海外からは少し出遅れたものの、 日本では人材のことを 「人財」 と表記する企業はけっこう前からありますから、 人的資本経営が浸透する素地はすでにあったということでしょうね。

── 2023年3月期決算以降の有価証券報告書で、 企業はどのような情報の記載が求められているのですか。

佐原 有価証券報告書のなかにサステナビリティ (持続可能性) 情報を記載する欄 ( 「サステナビリティに関する考え方及び取組」 ) が新設され、 「気候変動」 「多様性」 などとともに 「人的資本」 の項目が加わります。 この人的資本の項目には、 全ての企業で 「戦略」 に人材育成方針と社内環境整備方針の記載が必須となります。 また、 それらの方針に関する指標の内容や当該指標による目標と実績を、  「指標及び目標」 に記載することが (企業によっては) 必要となります。

有価証券報告書の 【事業の状況】 にサステナビリティ情報についての記載欄が新設。
「人的資本」 に関する情報は、 当欄に記載される。
 

── 事前にアナウンスされていたとはいえ、 これまでなかった項目への対応が迫られる企業は大変ですね。

佐原 そうですね。 上場企業の7割近くが3月期決算で、 6月末までには有価証券報告書を提出しなければならないので、 多くの企業が対応に追われていると思います。 実際、 「どこから着手すればよいのか見当がつかない」 といった声も耳にします。 ただ、 金融庁もそのあたりは配慮をしていて、 記載対象については比較的開示しやすい項目に絞ったようです。 また、 金融庁がホームページで公表している 「記述情報の開示の好事例集」 も参考になるでしょう。




 

人的資本情報を投資家はどのように判断すべきか

──人的資本経営を積極的に行っているのは、 具体的にはどういった企業ですか?

佐原 伊藤忠商事 [8001]オムロン [6645]味の素 [2802] などは、 人的資本経営において先駆的な企業といえます。 例えば伊藤忠は、 「厳しくとも働きがいのある会社」 を標榜して、 経営トップがその実現にコミットする形で人材戦略に取り組んできました。 伊藤忠は大手総合商社のなかでは従業員数が少ないのですが、 人材の 「個の力」 を最大限に引き出すことで、 労働生産性を着実に向上させています。

──個人投資家は、 今回から始まる有価証券報告書の 「人的資本」 に関する記載をどのように投資判断につなげればよいでしょうか。

佐原 「人的資本」 の記載内容は短期的には株価変動の大きな材料にはならないと思いますが、 人材戦略と経営戦略をうまく連動させた記載ができている企業には中長期的な成長への期待感が抱けますし、 企業価値が向上する蓋然性が高いとも考えられます。 「デジタル人材を増やします」 「リスキリング*を進めます」 といった記載ではなく、 例えば、 注力事業のためにどういう人材が必要で、 その人材をどのように確保し育成するか、 といったことをロジカルに説明ができている企業は信頼できますし、 将来的に伸びていくだろうという印象を持ちます。
技術革新やビジネスモデルの多様化への対応に必要な新しいスキルや高度な専門性を習得させるために、企業が主導して社員に実践していく取り組みのこと

──最後に、 日本における 「人的資本」 のあり方は今後どうなっていくとお考えでしょうか。

佐原 日本は欧米と比べると 「人的資本」 の取り組みが遅れているとは言いましたが、 企業が人材戦略に取り組んでいないということではなく、 戦略として組み込んでいくような形で体系化されていない (可視化できていない) という状況なのです。 今はまだ過渡期なので、 今後は人的資本経営で先駆している企業を手本としながらも、それぞれの企業が独自性を発揮していくものと思いますし、 そうなることを期待しています。