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新たな挑戦を通じて持続可能な社会の実現に寄与する

新たな挑戦を通じて持続可能な社会の実現に寄与する

2022年1月1日
4847 インテリジェント ウェイブ
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卓越したシステム技術を駆使して社会インフラの高度化に貢献

金融機関のATMやクレジットカードは、商取引の円滑な運営と人々の快適な暮らしに欠かせない社会のITインフラだ。卓越した技術力でこうした金融や決済に関わるITインフラの稼働を支えているのが、創業38年目を迎えたインテリジェント ウェイブである。グループを率いるのは、前所属企業でICカードの開発と普及に大きな足跡を残した佐藤邦光氏。現代IT社会の立役者のひとりともいえる同氏に、その人生の軌跡とビジネスに懸ける熱い思いを聞いた。

佐藤 邦光

佐藤 邦光
Kunimitsu Sato
代表取締役社長


Profile

代表取締役社長
佐藤 邦光
Kunimitsu Sato
1959年12月愛知県名古屋市生まれ。83年に関西大学工学部を卒業し、大日本印刷に入社。ICカードビジネス開発本部長、情報イノベーション事業部C&Iセンター長などを歴任。インテリジェント ウェイブとの協業基盤整備に尽力したことが機縁となり、2019年に同社の取締役に就任。2020年9月、代表取締役社長に就任した。

 

旧来のスタイルにとらわれない清新な発想でビジネスを創造

 経営者に必要な条件・素養とは何だろうか。祖業を守る伝統企業はともかく、革新的なビジネスモデルで新たな市場を開拓していくタイプの経営者には、次の3つが求められるだろう。第1は、時代の変化と潮流を的確に読み取る先見力、第2は戦略や施策を断行する意思決定力と実行力、そして第3が自身のビジョン実現に向けて社内外の人間を巻き込んでいくリーダーシップと人間力だ。

 そして、この3つの条件を兼ね備えたリーダーこそが、インテリジェント ウェイブ代表取締役社長、佐藤邦光氏である。

 佐藤社長の人生には「挑戦」という言葉がよく似合う。放浪旅を愛した青春期から、自らビジネスを創造し育てた前職の大日本印刷時代まで、佐藤社長は常に誰もやらないこと、誰もできないことに挑戦し、旧来のビジネススタイルにとらわれない清新な発想で革新的な事業戦略を推進してきた。何がそれほどまでに佐藤社長を未踏の領域に駆り立てるのか。
 

定期的に若手社員との対談(クロストーク)を実施しているという佐藤社長。社員が創造性を発揮するには、自由闊達に議論ができるような雰囲気づくりが不可欠だ

両親から受け継いだ独立不羈のDNA

 佐藤社長は1959年、愛知県名古屋市に生まれた。佐藤家は代々商家の家系で、両親は生活用品の卸売業を営んでいた。しかし、60年代の後半から、全国各地でスーパーマーケットなどの大型商業店舗の出店が急増し、経営も徐々に厳しくなっていく。家業維持の厳しい経験から、佐藤社長は両親に「自分で事業をするな、サラリーマンになれ」と教え込まれたという。

 表面上、佐藤社長は両親の教えを守り会社員であり続けたが、その会社員人生で常に新たな事業に挑戦するようになったことを思うと、両親から独立不羈(*1)のDNAを受け継いだことは間違いないといえそうだ。佐藤社長は自ら起業し多くの困難を克服してきた両親を、現在も尊敬しているという。

 小学生の時は、夏は野球、冬はサッカーに熱中し、中学ではバスケットボール部に所属。身体を動かすことが好きで、さまざまなスポーツを経験した。現在はもっぱら観戦中心だが、好きなチームの応援にはつい力が入る。

  「単純に選手の活躍を応援するというより、代表や監督の立場に自分を投影し、チーム運営や作戦を見ていることが多いですね。基本的に住んでいる街や好きな街のチームを応援しています」

 また佐藤社長は動物が大好きだった。小学生の時に飼育委員長を務めていたことを、今も誇りに思っている。自宅でも生き物を飼い、いつしか、獣医になる夢を口にしていた。しかし、その道は狭く、夢は大学入試で挫折することになる。

*1 どくりつふき。他人の力に頼らず、他人に影響されず、他から束縛されずに行動すること

「FORTRAN」との遭遇が人生を変えた


 高校時代は冒険の旅も楽しんだ。寝袋を持って自転車や電車で遠方まで足を延ばす。夜は駅などで野宿し、お金がなくなったら自宅に戻る。自由気ままに歩き回るのが好きだという性癖は今も変わらず、暇ができると街歩きを楽しんでいる。

 獣医への道を断念して入学した関西大学工学部時代は、アルバイトに明け暮れた。なるべく多くの仕事を経験したいと、短期間で次々と仕事を変えた。適職探しのウォーミングアップだったのかもしれない。

 しかし、その後の進路を決定する出合いは、大学の授業にあった。プログラミング言語「FORTRAN」との遭遇である。この世界最初の高水準プログラミング言語に接したことで、佐藤社長はシステム開発に興味を持ち、システムエンジニアを志望するようになる。

 就職活動に際しては、研究室の教授の勧めもあって、当時、印刷を主体とする事業構成から総合情報サービス企業へと事業構造を変革しつつあった大日本印刷への入社を決めた。巨大コンピュータメーカーと異なり、自分の好きな仕事ができると考えた。そしてその期待は、予想以上の形で叶えられることになる。

「私には2人の娘がいますが、ともに自立心の強い人間に育ち、長女は米国の大学に留学の後、米国在住。次女は絵画を学び、家には彼女の描いた絵が飾ってあります」と目を細める。全力疾走を続けてきた佐藤社長だが、そうした人生を歩むことができたのは、かけがえのない家族の存在があったからこそという

ICカードの進化を牽引する第一人者としての矜恃

 佐藤社長は、大日本印刷の関西事業所OA企画課に配属された。同社がOA事業5カ年計画に基づいてシステムの外販を始めた1期生だった。

  「製品企画、販促資料の作成、システム設計、プログラム開発、テスト、納品、サポートと、とにかく多くの仕事をこなしました。前例がまったくなかったので、すべて自分で企画し、独学でプログラムを覚え、システム設計して実行したのです。製品企画がおもしろくなってきた3年目ぐらいに転職を検討しましたが、自分が思い描く日本初のシステム製品を作りたい、今の環境ならそれができると考え、思いとどまったことを覚えています」

 佐藤社長も部下も、とにかくよく働いた。

  「ICカードを使った企業内キャッシュレスシステムや、現在の電子マネーにつながるプリペイドシステム、タブレットを使った銀行向け渉外員支援システムなど、いろいろなシステム製品を企画し、自ら開発、障害が発生したら全力で対応……こんなことを繰り返していました。私は充実していましたが、妻や子供は大変だったと思います」と佐藤社長は述懐する。また、苦楽を共にしてくれたチームの仲間にも、深く感謝していると振り返る。

 その後はICカード事業を担当し、会社も佐藤社長自身も確実にステップアップ。ICカードは、クレジットカード、キャッシュカード、交通系カードとその適用範囲を急速に広げていく。

 佐藤社長はカードのモノ(媒体)としての価値ではなくシステムとしての価値に着目。OSやソフトウエアの開発に注力したことが躍進の原動力となった。ソフトの開発力、つまりはトータルソリューションの提供力が、業界での優位性を担保することになったのだ。

 そして同社は世界初のICカード製品を企画開発するなど、ICカードのトップ企業に成長した。

 類い稀な先見力で市場を創造してきた佐藤社長は、業界における第一人者となり、専門誌への執筆や講演などICカードの普及活動にも注力した。海外出張も多く、これまでに訪問したのは24カ国50都市。訪問先はグローバル市場のリーディング企業からスタートアップまでと幅広く、ICカードの世界トップ企業との協業も実現に導いた。

海外出張時には先方の幹部と議論を交わし、また親交を深めることで、いくつもの素晴らしい協業や出資関係を構築できた
「アメフトではシアトル・シーホークス、ラグビーはジャパン、プロ野球は横浜DeNAベイスターズを応援しています」と佐藤社長。写真はシーホークスのユニフォームを着用。シアトルは大好きな街のひとつ

中期事業計画のもと 新規事業領域の拡大に挑む

 佐藤社長がICカード部門の要職を歴任していた頃、運命的な出会いがあった。インテリジェント ウェイブの創業者・安達一彦氏との出会いである。佐藤社長は安達氏を、尊敬と親しみを込めて「安達会長」というニックネームで呼ぶ。

  「最初にお会いしたのは2006年だったと記憶しています。私はICカードの次の展開は決済ビジネスだと考えていたので意気投合し、それが2010年の(大日本印刷の)出資につながりました。安達会長からは、若い技術者を育てること、そして社会課題を解決する製品・サービスを開発することの重要性を教わりました。安達会長の〈常に挑戦を〉というモットーは、今も日々の行動を律する指針となっています」

 佐藤社長は2019年9月、インテリジェント ウェイブ取締役に。翌年9月、代表取締役社長に就任した。

 大日本印刷では、新たな市場とビジネスモデルの創出に挑戦してきた佐藤社長だったが、新天地でも同様だ。2021年8月、佐藤社長は売上高150億円、営業利益率15%という2つの「15」を目指す中期事業計画を発表した。オンプレミス(*2)とクラウド(*3)のハイブリッドなIT基盤の提供や新たな事業領域の開拓を通じて、飛躍的な成長を実現していく考えだ。同時に、長期的な成長を見据え、グローバル展開にも積極的に取り組んでいくという。

  「作家の遠藤周作は“黄昏の砂漠は歩きづらいが、振り返ると波打ちぎわに自分の足跡が、自分だけの足跡が、一つ一つ残っている。アスファルトの道は歩きやすいが、そこに足跡など残りはしない”と言いました。私の人生もまた、舗装された道ではなく、歩きにくい砂地や時には荒野を進んできました。世の中を変えるには未知の領域に挑戦することが欠かせません。今後も新たな挑戦を通じて持続可能な社会の実現に寄与し、インテリジェント ウェイブを将来にわたって成長する偉大な会社に育てていきたいと決意しています」

 佐藤社長の情熱の炎は、未来を見据えてますます燃え盛る。

*2 顧客がサーバーやネットワーク機器、ソフトウエアなどを自社保有し、システムを導入・運用すること
*3 顧客がサーバーやネットワーク機器、ソフトウエアなどを自社保有せず、サービス提供側が提供するシステムを利用して事業を運営すること。クラウドサービス


 

<Episode>
被災マンションの復興に尽力

 

35歳の時、阪神・淡路大震災に遭遇した。自宅マンションも被災。断水が長期化するなど厳しい生活環境が続くなか、佐藤社長は住民組織の理事長に就任し、役所との交渉やマンションの復旧に力を注いだ。東に西に精力的に奔走する姿を見たマンションの住人は、その行動力に感服すると同時に「一体、何をしている人なのか」と訝しんだという。自分の家を後回しにして他人のために一心に働く佐藤社長の姿を見て、奥さまは苦笑交じりだったそうだが、内心では頼もしく思われたことだろう。もちろん、マンションの住人には大いに感謝された。その実行力と折衝力、そして人の心をつかむ人間性は、生来のものといえそうだ。

 

インテリジェント ウェイブ [4847]
確かな技術力で社会インフラを24時間365日サポート

 

ソフトウエア産業の黎明期であった1984年にベンチャー企業として誕生。高度なネットワーク関連技術とゲートウェイ関連技術を駆使して、社会インフラの高度化を牽引。2010年、大日本印刷による株式公開買付により同社グループに参画する。2019年、東京証券取引所市場第1部銘柄に指定。基幹事業であるクレジットカード向けやATM向けの決済システムで業界をリード。放送事業者向けのIPフロー監視ソリューションの提供など事業領域を順次拡大し、IT社会の発展に貢献している。2020年には取締役会の員数を6人に変更するとともに、執行役員制度を導入して経営基盤の強化を図った。


【特別企画】「“ビジネスリライアビリティ”を創造する 先進的IT企業を目指して」に続く  

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