社内ベンチャーを軌道に乗せた手腕で
これまでの延長線上にない変革に挑む
スパークプラグや排ガス用酸素センサなど自動車関連事業を中心に、日本のみならず世界でもトップシェア(*1)を誇る日本特殊陶業。自動車のEV化が進み、大きな転換期を迎えているなか、新長期経営計画「2030長期経営計画 日特BX」(以下、「日特BX」)を発表した。その長期経営計画をまとめ上げ、舵取りを担う川合尊社長の素顔に迫った。
*1 日本特殊陶業調べ
川合 尊
Takeshi Kawai
代表取締役社長
代表取締役社長
川合 尊
Takeshi Kawai
1962年大阪府泉佐野市生まれ。87年京都工芸繊維大学 大学院 修士課程 工芸学研究科修了。同年、日本特殊陶業入社。全領域空燃比センサ開発に携わり、2012年執行役員、2015年取締役常務執行役員、2016年取締役専務執行役員を経て、2019年4月より現職。
部下からの絶大な信頼感と飄々としたキャラクター
川合尊社長は実に飄々としている。トップという重責も軽やかに担っているかの如くである。インタビューにおける軽妙な受け答えからは、そんなイメージが膨らむ。
一方、苦楽を共にした部下からは、「川合社長への部下からの信頼は絶対的なものがあるんです」という声が聞こえてくる。「どんなに苦しい研究開発でも、川合さんが『これはできる』と言えば、みんなが『よしやろう!』となったものです」と。
絶大な信頼感と飄々としたキャラクターを併せ持ち、日本特殊陶業の長期経営計画をまとめ上げ、陣頭指揮をとる。そんな川合社長とは一体どんな人物なのだろうか。

家業に打ち込む両親の
背中を見て育った
川合社長の出身は大阪府泉佐野市。タオル製造業を営む両親のもと、年の離れた兄と姉に続く末っ子として生まれた。家族の愛情を一身に受けて育ったかと思いきや、両親は家業に忙しく、十分にかまってくれる暇などなかったという。
「両親が忙しすぎて、保育園に迎えに来てくれません。ひとりでは帰せないので、保育士さんたちも困ったんでしょう。保育園を退園になってしまいました」
子供の頃から家業に専念する親の背中を見てきた経験は、その後の川合社長の生き方に影響を与えた。
小学校時代は野球少年で、自分たちで本格的なチームを作り、近所の大人に監督をお願いしたという。
「仲間たちと一緒ではありましたが、なければ自分で作るという積極性や主体性は持っていたんだと思います」


要領が良い半面、大金を落としたことも
中学校では、部活やスポーツに明け暮れた。先述した校外のチームで野球を続けていたため野球部には所属せず、軟式庭球部とバスケットボール部に所属し、試合の時に助っ人として参加した。しかし、その後進学した高校では、部活はせず勉強漬けの毎日を過ごしたという。
高校は校則が厳しく、仏教系の学校でもあったため、般若心経100枚の写経が課題として出ることもあった。
「今だから言えますが、運動部の連中がアルバイトとして写経を1枚いくらで売っていたので、僕もずいぶん買いました。1枚ごとに字が違ったのはご愛敬でしたが(笑)」
また、印象深い出来事があった。父親から、約束手形を銀行で割り引いてもらってこいと頼まれたのだ。
「手形のことも割引のことも知らない高校生が『これ割り引いてください』と言ったところ、銀行員も驚いた顔をしていました」
割り引かれた現金約300万円をオートバイの荷台に結びつけて帰宅したが、家に着くとその大半がなくなっている。袋が破れて中の1万円札が道沿いの田圃などに飛んでいってしまったのだ。慌てて拾いに行ったが、100万円も回収できなかった。父親に激怒されると覚悟した。
「しかし父はちっとも怒らずに、『もう1枚、手形を割り引いてこい』と言っただけでした。父はおそらく、何かを教えたかったんでしょう」
その「何か」とは、今も川合社長の宿題になっている。
大学時代は部活とバイト、大学院では真剣に研究
大学は理系を選び、京都工芸繊維大学の無機材料専攻に入学した。「文系では食べていけないから、手に職をつけろ」と父親が勧めたからだ。当時、ちょうどセラミックが注目され始めていた。
川合社長の大学生活は、昼頃に起き出して午後はパチンコ屋で時間をつぶし、夕方からはハンドボール部、夜はディスコやホテルでのアルバイトという毎日であった。一体いつ勉強をしたのかと尋ねると、4年間ほとんど勉強せずに過ごしたという。
それでも大学院修士課程まで進んだのは、商売人の父から学び、要領が良かったからだと自己分析する。あまり勉強せずとも、必要なポイントはしっかり押さえていた。大学院でも授業の出席率は低かったが、研究には熱心に取り組んだ。実験機器も自分で工夫して作成し、夜中まで実験してレポートや論文を書いた。
無事に大学院修士課程を修了し、教授の推薦で日本特殊陶業に就職を決めた。


社内ベンチャーのようなセンサ事業の立ち上げに参加
入社してすぐに配属されたのは、センサ研究部だった。当時、スパークプラグをビジネスの柱としていた日本特殊陶業は、もうひとつのビジネスの柱として自動車の排ガス用酸素センサのさらなる開発に取り組んでいた。その酸素センサを進化させた「全領域空燃比センサ」の開発は社内ベンチャーのようだった。
川合社長が担当したのは、センサ素子の開発。大学でのセラミック研究がその理由だったが、大学での知識は現場ではあまり役に立たず、社内の先輩に多くを学びつつ取り組んだ。当時の研究環境はかなりひどかったという。
「古い工場の片隅で、机もなかった。何とかスペースを見つけてレポートを書くんですが、夏でも冷房がなく汗が滴って、文字がにじみました」
そんな環境から出発し、日本特殊陶業は日本ガイシと共同でセラミックセンサ社を設立(*2)。第一世代の全領域空燃比センサを1992年に商品化した。
「実験の方法も、日本ガイシと当社では異なっていました。我々は何でも試してみようという絨毯爆撃的なアプローチでしたが、日本ガイシは学術的にアプローチしていました。そのおかげで多くのことを学びました」
商品化した第一世代センサは不具合頻度が高く、顧客企業からのクレームが頻繁にあった。
「ボロクソに言われましたが、それがきっかけでお客さんと仲良くなれましたし、解決のためのヒントももらえました。お互いが信頼できて、何でも言いたいことを言い合える関係ができたことは財産です」
この経験が、顧客との信頼関係を構築する原点となっている。
*2 セラミックセンサ社は現在日本特殊陶業100%子会社
第二世代センサ開発を担い、陣頭指揮で軌道に乗せる
そして、第一世代の問題点を克服すべく、第二世代センサの開発が始まる。このプロジェクトは、学術的にアプローチする研究開発部門と、川合社長が率いるセンサ技術部との協働によって成功していく。コラボがうまく噛み合った結果でもあった。
「センサ技術部では一丸となっていろんなアイデアを出しました。フラットな組織文化のなかで、人間の知恵が集まると大きなことを成し遂げられるのだと実感しました」
第二世代センサを軌道に乗せて、49歳の時に執行役員に就任した。役員になれば技術開発に加えてマネジメントへの責任も生じる。
「大阪商人の息子ですから、交渉ごとや商談は得意です。センサ部門の部長だった時に赤字の原因を数字の分析から解明して黒字にし、役員会で説明することもできました」
しかし、上場企業の役員ともなると、商人の感覚だけで担えるほど甘くない。役員会に参加した初めの頃は、会話に出てくる用語を会議中にネットで検索していたという。
そして3年後には取締役常務執行役員、その翌年には取締役専務執行役員に昇格し、さらに3年後の2019年に代表取締役社長に就任した。
社員の意識改革こそカギ スローガンに込めた思い
これまで同社は、スパークプラグや自動車用センサなど内燃機関事業で大きく発展してきた。しかし、周知のように内燃機関を使った自動車がこの先EVなどに取って代わられることは必定である。
川合社長が自らまとめた2030年までの長期経営計画「日特BX」では、2040年の「目指すべき姿」として、売上高を現在の4262億円から倍増させるとともに、内燃機関事業は4割、その他を6割へと事業ポートフォリオの転換を図ることを掲げている。「これまでの延長線上にない変化を!」とのメインスローガンを考えたのも、川合社長自身だ。
「大転換を図るうえで何よりも大切なのは、社員の意識改革です」
2021年からのカンパニー制導入と分社化を検討している。
「ガバナンスや経営効率の面からだと思っている方も多いようですが、私の狙いの8割は社員の意識改革にあります」と言い切る。
日本特殊陶業が大きな曲がり角を迎えた時期に、舵取りを任せられた意味は大きい。転換期を率いる川合社長の手腕に、注目と期待が集まる。
<Episode>
アイルトン・セナのF1エンジン
川合社長が排ガス用センサ開発に取り組み始めた頃は、ホンダのF1活動の黄金期。マクラーレンやロータスにホンダが提供していたエンジンに、日本特殊陶業の全領域空燃比センサが使用されていた。レース後、センサ本体は検証のために同社に送り返されてくる。それを見ながら、川合社長たちはアイルトン・セナらトップレーサーの走りに思いを馳せた。

日本特殊陶業[5334]
プラグとセンサで
世界の圧倒的トップシェアを築く
設立は1936年。TOTO、ノリタケ、日本ガイシ等とともに森村グループを形成する。主力製品の自動車用スパークプラグ、排ガス用酸素センサで世界シェアトップ。特に主力製品であるスパークプラグは、世界のほぼすべての自動車メーカーに採用され、F1等のモータースポーツにおいても多くのチームに採用されている。自動車産業のEV等への大転換を見据え、2030年までの長期経営計画では、事業ポートフォリオにおいて内燃機関事業以外を40%(2040年には60%)にまで拡大する計画を示し、カンパニー制導入などを打ち出している。
【特別企画】「『これまでの延長線上にない変化』を実現し、『セラミックスのその先』を目指す」に続く