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世界で愛されるステンレス製魔法びん

産業ガスメーカーの技術力が起こした“革命” 世界で愛されるステンレス製魔法びん

2022年1月1日
4091 日本酸素ホールディングス
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日本酸素ホールディングス「サーモス事業」

「重い」「壊れやすい」という従来の魔法びんのイメージを覆した、画期的な「高真空ステンレス製魔法びん」が誕生して約40年。私たちのライフスタイルを変えたこの商品を世界で初めて生み出したのは、日用品とは一見無縁な、製造業の裏方的な存在である産業ガスメーカー、日本酸素ホールディングス(以下日本酸素)である。その卓越した技術力で、未知の領域に挑んだ「The Gas Professionals」の奮闘を紹介する。

魔法びんの最大の弱点を払拭。高真空ステンレス製魔法びん登場

 かつて魔法びんは、便利だが扱いにくかった。

 魔法びんは、内筒と外筒の二重構造になっており、その間を真空状態に保つことで放熱を防ぎ、保温・保冷効果を得ている。以前の魔法びんは、この筒の部分がガラス製だったため落とせば割れてしまったし、びんを保護するケースも必要で、どうしても「かさばる」製品だったのだ。

 しかし、現在はガラス製に代わってステンレス製が主流となったことで、落としても割れることはなく、さらには軽量でコンパクトと、これまでとは真逆の機能も加えられるようになり、扱いにくさは見事に払拭された。

 現在では、高真空ステンレス製魔法びんの代名詞ともいえる「THERMOS」(サーモス)ブランドの商品が、世界120カ国以上に出荷されている。

 しかし、その誕生の裏側には、一般消費財とは無縁の、産業ガスを主業とする企業、日本酸素の技術者による試行錯誤の連続があった。

「あってもまったく新しいもの」。未確立の溶接技術への挑戦が実る

 日本酸素が世界で初めて高真空ステンレス製魔法びんを発売したのは、1978年だった。この頃、日本酸素は産業ガスの国内トップメーカーとして、すでに日本の製造業に不可欠な存在だったが、BtoB企業の同社にとって一般消費財の商品開発はまったくの専門外。未知の領域への挑戦が決断されたのは、景気の動向に左右されやすい事業環境を脱し、事業の多角化を狙う意図があった。

 さかのぼること数年前、開発テーマの探索を託された開発本部のメンバーは、「世の中にないもの、あってもまったく新しいもの」という指針に沿って、リサーチを重ねた。その結果、彼らは「携帯しやすい高真空ステンレス製魔法びん」にたどり着く。

 窒素、酸素、ヘリウムなど産業向けの極低温液体用の“魔法びん”であれば、豊富な製造実績があった。自社開発の工業用高圧技術をはじめ、培ってきた真空断熱や金属加工・溶接などの技術を活かすこともできる。さらに当時も金属製の魔法びんはあったのだが、非常に重く一般的とはいえなかった。強度と軽量性を両立できるステンレス製の魔法びんは、まさに彼らが目指した「あってもまったく新しいもの」だったのである。

 開発者たちはまず、携帯のしやすさを考慮して、外筒と内筒の素材を厚さ0.4~0.6ミリのステンレス鋼に決めたが、これが最大の難関を生むことになる。この薄さのステンレス鋼の断面をぴったりと突き合わせて溶接する「突き合わせ溶接」の技術が、当時は確立されていなかったのだ。

 真空状態を保つ精度をクリアするだけでもハードルが高いが、内筒と外筒は複数の部品を組み合わさなければならないため、さらに困難を極めた。技術者たちの試行錯誤は、電流値などの溶接時の諸条件、治具や電極の先端にあるタングステンの角度等、あらゆる箇所に及んだ。

 最終的に、専用の加工機械・治具を自作したうえで、溶接の職人が最終調整をすることで難関を打開する。ステンレス製魔法びんは、日本酸素が培ってきた、機械、治具、溶接技能者の知見を総動員して、初めて実現した。魔法びんにはありふれた日用品というイメージがあるが、製造の過程を見れば紛れもなく精緻な工業製品なのである。

 世界初の高真空ステンレス製魔法びん「アクト・ステンレスポット」は、試作品の完成から2年を経て、市場に投入された。

▲ 両方に95度のお湯を入れて6時間後までの温度を比較したグラフ。長時間の保温や保冷には真空断熱の魔法びん構造が欠かせない
▲ ステンレス製魔法びんはステンレスの二重構造の容器。外筒と内筒の間は高真空状態になっていて、熱移動による放熱を防ぐ。さらに、内筒の外側に放射率の小さな金属箔を巻きつけることで、熱放射による放熱を防いでいる

歓迎された「衝撃・震動」への強さ。改良を重ねて今も用途が広がる

 最初の商品に付けられた「アクト」とは、本田技研工業の子会社のアクト・エル社(現・ホンダトレーディング)を指す。一般消費財の販路を持っていなかった日本酸素は、その販売網を利用せざるを得なかったのだ。

 ところがこれが功を奏する。アクト・エル社の主な客層はツーリングやアウトドア愛好者で、衝撃・震動に強い高真空ステンレス製魔法びんのメリットを大いに歓迎したのだ。79年にはグッドデザイン賞を受賞するなど、ステンレス製魔法びんは一般消費者にも浸透。当初は開発部門の一角に製造施設を設置しただけの細々とした生産体制も、販売開始から3年後には専門工場を持つまでに拡充された。

 その後、欧米で長い歴史を持つドイツ発の魔法びんブランド「サーモス」を1989年に買収(現在は分社化したサーモス株式会社が保有)し、海外展開も推進。継続的に軽量化などの改良が進められ、ケータイマグやスポーツボトル、真空保温調理器、スープジャーなど、その用途は今なお拡大を続けている。

 日本酸素グループは、「Making life better」(事業を通じてよりよい未来を拓く)という理念のもと、その卓越した技術力で製造業をはじめエレクトロニクスやエネルギー、医療、農業などあらゆる産業を支えている。この考え方は、サーモス社の企業理念「人と社会に快適で環境にも優しいライフスタイルを提案します」にも通底する。産業ガスから生活に寄り添う商品まで、日本酸素グループが切り拓く未来に期待したい。
 

▲ 外筒と内筒の二重構造がわかりやすい「ケータイマグ」の断面図(右)。軽量化はステンレスを極限まで薄くすることと、真空層を狭くすることで達成した。また、この薄いステンレス鋼を一分のスキもなく溶接するわけで、ステンレス製魔法びんが途方もない技術の結集であることがよくわかる

開発裏話

究極の“軽さ”を目指して~ステンレス製魔法びん・改良の歴史~


 ステンレス製魔法びん第1号「アクト・ステンレスポット」は、発売当初、家族向けの商品として想定されていた。しかし、丈夫さが評価されて子供に持たせる場面が見受けられるようになり、日本酸素は軽量化を軸とした改良をスタートさせる。

 大きな開発の節目はこれまでに3度ある。最初の軽量化の試みは1997年に始まった。溶接方法の改善で、内筒のステンレス鋼の厚さを、0.4~0.6ミリから約半分の0.2ミリにすることに成功。続けて2000年には、海外工場での生産を視野に入れ、溶接技能者のノウハウに依存することが多かった製法を見直した。

 第3弾は2007年から。携帯性のさらなる向上を目指し、独自製作の機械をさらに進化させて、ステンレス鋼の厚さは驚異の0.1ミリ以下を達成した。一貫して軽量化を推し進めてきたサーモス株式会社技術部の古和康弘氏は、「今後、どれだけ技術革新があっても、ステンレス製魔法びんは必ず生き残ることができるという自信を持っています」と語る。開発者のステンレス魔法びんにかける思い、プロ意識は、分社化された現在も変わらず息づいている

取材協力 サーモス株式会社
古和 康弘様(技術部 ゼネラルマネジャースタッフ)/大友 弘一様(社長室長)/簑島 久男様(ブランド戦略課マネジャー)

 

 

日本酸素ホールディングス|特別企画「『The Gas Professionals』としてお客さまに寄り添ったガスの供給に取り組む」に続く

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