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自己革新と挑戦で<br />
NGKグループの明日を拓く

自己革新と挑戦で
NGKグループの明日を拓く

2022年1月1日
5333 日本ガイシ
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海外グループ会社の運営に手腕を発揮
2050年の未来社会へ、新たな挑戦が始まる

卓越したセラミック技術を基盤に、自動車産業やエレクトロニクス産業に最適なソリューションを提案・提供してきたNGKグループ─。2021年4月には2050年の未来社会を見据えた「NGKグループビジョン Road to 2050」を公表し、進むべき方向性と戦略を明らかにした。同年4月に代表取締役に就任した小林社長は、このNGKグループをどのように運営し、どこに導いていくのか。過去、米国や中国のグループ会社の社長として、また祖業のがいし事業や主力のセラミックス事業の海外営業で辣腕を振るった小林社長に、業界の内外から大きな注目が集まっている。

小林 茂

小林 茂
Shigeru Kobayashi
代表取締役社長

Profile

代表取締役社長
小林 茂
Shigeru Kobayashi
1961年3月東京都港区生まれ。83年に慶應義塾大学法学部を卒業し、日本ガイシに入社。計4度の海外赴任を経て、2016年4月に電力事業本部ガイシ事業部長に就任。がいし事業の再建に辣腕を振るう。同年6月、執行役員に就任。2018年6月、常務執行役員、2020年6月、取締役専務執行役員を歴任し、2021年4月、日本ガイシの代表取締役社長に就任。
 

黒衣のキャラクターに託された思い

 日本ガイシと聞くと、テレビCMに登場する「クロコくん」を思い出す人が多いかもしれない。見えないという約束事のもとで舞台を支える黒衣の生業に、BtoB企業である日本ガイシの仕事を重ねているという。現在のキャラクターは2016年に誕生したが、前身の実写版「黒衣くん」から通算すると25年以上の歴史を持っている。

  「黒衣」にどのような意味を仮託しているのか。
 それは「ものづくり魂の化身」だ。

 クロコくんの可愛らしい姿には、一般消費者の目には見えないかもしれないが、先進的なものづくりで世界の産業と社会を支えていくという強い決意が込められている。

 日本ガイシはいうまでもなくわが国を代表するエクセレントカンパニーの一角である。1919年の設立から現在まで1世紀以上の長きにわたり、高度なセラミック技術を駆使して、さまざまな製品・サービスを創出し、わが国の経済発展の一翼を担ってきた。
 加えて、海外売上高比率70%超のグローバル企業でもあり、世界では「NGKグループ」で知られている。

 その日本ガイシで、2021年4月、7年ぶりの社長交代が行われた。新たに代表取締役社長に就任したのは、小林茂氏60歳。就任後、時を置かずして「NGKグループビジョン Road to 2050」を公表し、将来への成長戦略を明らかにするなど、新体制の始動早々からエンジン全開を印象付けた。
 では、小林社長とは一体どのような人物なのか。  

米国での異文化体験で順応性と積極性を育む

 小林社長は、61年、東京港区に5人兄弟の長男として生を受けた。
 こう聞くと、弟妹の面倒見が良く責任感の強い「お兄ちゃん」を連想するが、実際は、そんな優等生イメージとはかなり異なる子供だったらしい。

  「家族が増えていくなかで、にぎやかですが、とにかく生存競争が激しかったことを記憶しています。食卓の真んなかに大皿の料理を出すこともできない。すごい取り合いになってしまうからです。私は弟の分まで食べてよく母親に叱られたものです。私としては一刻も早くこのカオスから逃げ出したいと思っていました。それが後年、名古屋が本社の日本ガイシを志望した理由のひとつでもあります(笑)」

 小学校3年生まで東京のど真んなかで過ごした小林社長は、その後、船会社勤務の父親の海外赴任に従い、米国ニューヨークで3年間を過ごす。小学校6年生で帰国すると神奈川県平塚市に住み、さらに中学校を終えると一家で川崎市へと転居した。

 海外生活と度々の転居は、茂少年の人格形成に少なからぬ影響を与えたようだ。それまでは「結構内気な少年」(小林社長談)だったが、港区、ニューヨーク、平塚、川崎と異なる地で過ごしたことで、環境に対する順応性と他者に働きかける積極性が身についていった。

 特に小林社長が米国で過ごした69年から72年は、同国が経済面でも文化面でも世界をリードしていた時代。そこで人種も国籍も異なる仲間たちと過ごしたことは、その後の人生の方向性を決定する貴重な異文化体験となったという。

 米国から帰国後は、横浜市の桐蔭学園中等教育学校に編入し、そのまま桐蔭学園高等学校に進学する。米国時代に始めたバスケットボールは高校でも続けることになった。

 自身の将来については、漠然と弁護士になれたらいいなと考えていた。そこで大学は、慶應義塾大学法学部に進学。しかし、入学後のオリエンテーションで「司法試験に合格するには1日8時間の勉強を8年続ける必要がある」と言われ方向転換する。

 法曹への道が現在よりはるかに険しかった時代である。

  「留年は絶対にするなと父親に厳命されていたので、4年で卒業できるだけの勉強はしました」

 小林社長の語り口はソフトでウィットに富んでいる。だから「卒業できるだけの勉強」のくだりは自嘲的な部分を割り引いて聞く必要があるだろう。いずれにしろ、大学4年生となった小林社長は、念願だった「カオスから逃げ出す」(親元を離れる)ことを第一に就職活動を行う。
 

世界を股にかけ ビジネスを展開

 就職活動では、母方の祖父が森村グループと関係が深かったこともあり、森村グループ4社に関心を持った。

 そこで日本ガイシのパンフレットを取り寄せると、海外売上高比率が20%(当時)を超えるグローバル企業であることが記されていた。

 「日本ガイシは文系を10人しか採用せず、そのうち2人が海外関係の部署に配属されるとのことでした。海外に行くならこの会社しかない。名古屋に本社があるから実家から離れることもできるので、日本ガイシに応募することを即決しました(笑)」

 海外に行きたいという小林社長の希望はすぐに叶えられた。配属された電力事業本部国際営業部での8年間で幾度となく担当先の中東に出向くことになる。飲酒厳禁の国から帰国した後に飲んだお酒のおいしさが今も忘れられないという。

 30代のはじめにはカナダのモントリオールに初代の駐在員として赴任し、現地人脈の開拓や事業基盤の整備に取り組んだが、主要顧客である電力会社の設備投資計画が変更になったためトロントに異動。1年後に帰国すると、今度は東南アジアの送変電プロジェクト向けのビジネスに注力する。フィリピン、インドネシア、タイ、マレーシアと、最も多い時には年間180日も海外出張する激動の日々を送ることとなった。

 30代の後半からは中国向けのプロジェクトに従事し、2003年7月、42歳の時に米国・NGKロックポリマー碍子(現・NGKロック)社の社長に就任。帰国後はNASR電池の営業部長として陣頭指揮を執る。

 そして2012年4月、自動車向けセラミックスの海外営業部長を務めていた時、当時の大島社長からがいし事業の立て直しを命じられた。
 

新入社員の頃の社内イベントにて(黒い柱の左、メガネ着用)
国際営業部時代の小林社長(右から3人目)

がいし事業の再構築に注力 「祖業」のDNAを継承する

 がいし事業は、日本ガイシの社名が示すとおり「祖業」だが、外部環境の変化に伴って収益力が低下し、その再建が喫緊の課題とされていた。
 そこで海外経験が長く、活躍の場をセラミックス事業に移していた小林社長に白羽の矢が立った。
 小林社長は、がいし事業の再構築という厳しいミッションに取り組むことになる。

 以来5年、小林社長の尽力が奏功し、がいし事業は2022年3月期の黒字化が見込まれる段階まで順調に回復を果たした。この功績が社長就任の布石のひとつになったことは間違いないだろう。

 小林社長は2021年4月に日本ガイシの代表取締役社長に就任した。取締役専務執行役員となって1年足らずでの社長就任だった。
 これは、小林社長自身にとっても大きな驚きだったという。

 就任後まもなく、小林社長は日本ガイシが進むべき方向と戦略を明文化した「NGKグループビジョン」を公表。2050年の未来社会を展望し、そこからバックキャストする形で策定した当ビジョンでは、今後の世界的な潮流を「カーボンニュートラル」と「デジタル社会」と定めている。日本ガイシはこの2つのテーマを追求するため、「ESG経営」「研究開発」などの5つの変革を実行し、社会環境の変化に即応した事業構造を構築していく方針だ。

 「日本ガイシはこれまで100年以上、ファインセラミックスを中心に先駆的な研究開発を継続してきました。歴史があるということは、すなわち膨大な実験データがあるということです。このデータを人工知能(AI)などの活用で分析・展開することで、新たな材料や製品を創造することができる。マテリアルズ・インフォマティクス(*)こそ、日本ガイシの優位性の源泉。この強みを活かすことで、カーボンニュートラルやデジタル社会が主導する未来社会の形成に貢献していきます」


* 機械学習を含む情報処理技術を活用し、材料開発を進めていく分野

米国・NGKロックポリマー碍子(現・NGKロック)社長時代の小林社長。2003年12月、現地メンバーとのクリスマスパーティーにて(左から2人目)

創設者の言葉を胸にさらなる成長を追求

 小林社長の座右の銘は、森村グループのルーツである森村組創業者・森村市左衛門の「人は感激に生き保守に死す。世物みな進むありて止まることなし」という言葉だ。
 小林社長はこの言葉を〈自己革新と挑戦〉と解釈する。

 常に革新を追求し、挑戦しなければ自分を成長させることはできないし、会社を成長させることもできない。
 今、新たなステージに向けて始動した日本ガイシ──。

 小林社長は自己革新と挑戦を継続し、グループのさらなる成長を追求していく覚悟だ。
 

<Episode>
異文化との邂逅


3入社後、最初に配属された国際営業部では、2カ月に1回くらいの頻度でサウジアラビアやトルコなどの中東地域に出張した。幼少期にアメリカ生活を経験して欧米風の価値観を身につけていた小林社長にとって、中東でのビジネスは同時に異文化との邂逅でもあった。現地の商談相手のなかにはアフリカなどからの移民の子弟もいて、欧米と異なる価値観があることを体感していく。グローバルな視点で物事を見ることができるようになったと小林社長は述懐する。

日本ガイシ[5333]
海外売上高が70%を超える
わが国屈指のグローバル企業


1919年に、日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)のがいし部門が独立して「日本碍子」が誕生。以来、高度なセラミック技術から生み出される先進的な製品で、日本と世界の電力インフラ整備や自動車産業、エレクトロニクス産業の発展に貢献。海外売上高比率が70%を超えるわが国屈指のグローバル企業でもある。2021年3月期の連結売上高4,520億円。TOTO、日本特殊陶業、ノリタケカンパニーリミテドとともに森村グループを形成する。商号は「日本碍子株式会社」だが、1986年より表記社名として「日本ガイシ」を使用している。

日本ガイシ本社

特別企画「2050年の未来社会を見据えて『5つの変革』に挑む」に続く