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トップの素顔

明治電機工業
「次の100年」への決意

杉脇 弘基

杉脇 弘基
Hiroki Sugiwaki
代表取締役社長


先進のトータルソリューションで
日本のものづくりを支え続ける


2020年、明治電機工業は創業100年の記念すべき年を迎えた。モーター修理と電気材料販売からスタートした同社は1世紀の時を経て、Supporting Industry Companyを標榜するわが国屈指の優良企業に成長している。そして次の100年に向け、新たな挑戦を開始した2021年6月、杉脇弘基氏が代表取締役社長に就任し、トップマネジメントとしてグループを率いることとなった。大阪出身の新社長は、名古屋発祥の明治電機工業をどこに導いていくのか。その手腕と舵取りに注目が集まっている。
 

Profile

代表取締役社長
杉脇 弘基
Hiroki Sugiwaki
1964年10月、大阪府生まれ。87年、同志社大学経済学部を卒業し、明治電機工業に入社。関西地区で営業に従事したのち、2012年に米国MEIJI CORPORATIONの取締役社長に就任。帰国後、執行役員 第1営業本部長、執行役員 企画管理本部長、取締役を歴任。2021年6月、代表取締役社長に就任。

 

 満を持しての登壇である。2021年6月の定時株主総会およびその後の取役会で、杉脇弘基取締役の代表取締役社長への就任が決議・承認される運びとなった。杉脇新社長は1964年10月生まれの56歳。林正弘会長(前社長)が1955年1月生まれだから、ちょうど一時代(10年)若返ったことになる。しかし、杉脇社長のマネジメントとしての経験は長い。2012年に40代の若さでMEIJI CORPORATIONの取締役社長に就任して以来、およそ10年にわたり、経営幹部として明治電機グループの運営を支えてきた。しかも社長就任を最初に打診されたのは3年前のことだから、早くから次期社長候補と目されていたことがわかる。「満を持して」とは、そういう意味だ。

 

スポーツ万能。
高校時代に剣道2段を取得


 杉脇弘基社長は杉脇家の長男として生を享けた。後に妹と弟が生まれ、一家は5人家族となる。出生地は大阪市中央区道頓堀。同地はグリコのディスプレイや動くカニ看板が異彩を放つ大阪屈指の繁華街だ。物心がつく前に市内我孫子に転居したが、都会の真ん中で生まれ育ったことに変わりはない。父親はいわゆる水商売の世界に身を置き、腕利きのバーテンダーとして店を切り盛りしていた。

 「私が小学生、妹が幼稚園の頃、父の店に届け物をするために、夜の7時、8時に繁華街を2人で歩くことがありました。一般的には物騒な場所と思われていたかもしれませんが、私にとっては生まれ育った馴染みの街です。もっともよく婦人警官に職務質問されましたけれど(笑)」

 弘基少年はスポーツ万能だった。小学生の時は野球に熱中し、中学ではバレーボール、高校では「綺麗な先輩にあこがれて」(杉脇社長)剣道部に入った。ラクそうに見えた剣道だったが、実際は厳しくしごかれ、この辛さに耐えられればほかのことは何でもできるという思いをしたという。それでも高校時代に2段を取得したのだから、身体能力も技術も水準以上であったことは間違いない。

 

バスが足りない!
人生最大のピンチを切り抜ける


 高校卒業後は、関西私学の最難関である同志社大学経済学部に進学した。大学では労働経済論を学んだが、学業以上に打ち込んだのが、学生ツアーの企画・運営である。学外に事務所も構えていたから、その内実は一般企業に近い。旅行の企画、日程調整、案内パンフレットの制作、予約・集客活動、催事の立案、交通機関の手配などさまざまな業務を手がけるなか、杉脇社長は主にイベント関係で辣腕を振るったという。

 「深刻なピンチに陥ったこともあります。志賀高原のスキーツアーを実施したのですが、旅行会社のミスで本来は2台配車されるバスが1台しか来なかった。配車ミスとは言えませんから、とっさに機転を利かせて……。大阪方面に向かう他社のバスが通りかかるたびに呼び止めて交渉し、優先度の高いお客さんから順に乗ってもらいました。何とか無事にすべてのお客さんを送り出すことができましたが、この時が私の人生のなかで最大の危機だったかもしれません(笑)」


 

カウンターの内と外─
先輩の紹介で明治電機工業へ


 大学4年となった86年、杉脇社長は進路のことを父親に相談する。就職せず、父親の店に入って一緒にやりたいと申し出たのだが、即座に反対された。
「父は私にこう言いました。自分はカウンターの内側にずっといたので、サラリーマンの本当の気持ちがわからない。お前は一度、カウンターの外をやって、それから内側に来ればいい。─その一言で私の進む方向が決まりました」

 明治電機工業を選んだことに深い理由はなかった。当時の同社は着実な成長を続けていたとはいえ、名古屋を地盤とする未上場の中堅企業にすぎない。ツアー企画・運営サークルの先輩が同社で働いていて、就職先を決めかねている杉脇社長にウチを受けてみないかと声をかけてくれた。社名すら知らなかったので調べてみると〈中部地区を代表するFA商社〉とある。当時は日本のものづくりを変革するテクノロジーとしてFAが日々、新聞や雑誌で取り上げられていた。興味を感じた杉脇社長は先輩の紹介で明治電機工業の面接に赴き、その日のうちに合格の知らせを受け取った。

 入社は87年4月。ちなみに後年、杉脇社長が取締役社長を務めることになるMEIJI CORPORATIONは、同年3月に米国イリノイ州で誕生している。単なる偶然とはいえ、運命的なものを感じさせる符合である。
 

たった4人の滋賀オフィスで
ビジネスの基本を学んだ


 入社後18年間、杉脇社長は一貫して営業畑を歩み続ける。勤務地はすべて関西だった。大阪、京都、滋賀といった「新天地」「開拓地」で、地元のものづくり企業を支えてきた。30代前半を過ごした滋賀サテライトオフィス(拠点集約のため2000年に閉所)は営業2人、事務2人の小所帯。新規開拓力や企画実行力を見込まれての配置だったが、普通のサラリーマンなら不満を感じるポジションだろう。

 「滋賀オフィスは本社の人間がほとんど立ち寄らないような小さな拠点でした。しかし、どうすれば地元の経済産業界に明治電機工業ブランドを浸透させることができるか。どうすれば滋賀オフィスの存在価値を高めることができるか。そして明治電機工業をもっと良い会社にするためには何が必要かを徹底して考え抜き、その考えを日々の仕事で実践しました。同時に、私が理想とする拠点政策の在り方を本社に向けて発信しました。どんな立場に置かれても、できることは必ずある。腐らずに努力することが大切だと考えています」


 

重圧半分、ワクワク感半分で
「次の100年」に挑戦する


 営業部門での手腕を見込まれ、2012年にMEIJI CORPORATIONの社長として米国に赴任。着任時25億円だった売上高をわずか3年で50億円まで拡大させた。5年の任期を終えて帰国すると、明治電機工業の執行役員第1営業本部長、執行役員企画管理本部長を歴任し、2020年6月に取締役に就任する。海外現法社長、本社営業統括、IR統括、経営企画管掌など、トップマネジメントへの布石として企業経営の中核業務を幅広く経験したことになる。
 林正弘会長から社長就任の打診があったのは3年前だ。

 「社長になるのは私ではないでしょうと申し上げました。私より入社年次が古い先輩役員が何人もいましたし、関西人の私が名古屋で100年の歴史を刻んできた会社のトップになっていいのかという思いもありました。ところが、そのうちに引き受けざるを得なくなって(笑)。世の中が急激に変化していくなか、次の100年に向けたビジョンを打ち出す立場になったことを、重圧半分、ワクワク感半分で受け止めています」


 

“明治電機が大好きです!”と
言ってもらえる企業を目指して


 明治電機工業は単なる商社ではない。日本を代表する企業が集積する中部地区を地盤として、ものづくりにおけるさまざまな課題に最適なソリューションを提案・提供してきた。一般的な営業組織に加えて、層の厚いSE・エンジニア部隊を擁しているのも他社にない強みだ。ICTが進化し、AIが浸透する現代は、明治電機工業の総合力が生きる時代でもあると杉脇社長は確信している。

 「営業、SE、エンジニアリング部隊が協働して、お客さまの生産活動における諸課題にトータルな解決策をご提示する、それが明治電機のビジネスモデルです。このスタイルをさらに進化させ、中部地区だけでなく日本全国のものづくり企業をサポートしていきます。またお客さま、仕入れ先メーカー、株主、社員、地域社会など、あらゆるステークホルダーから“明治電機が大好きです!”と言ってもらえるような、魅力的で信頼できる企業グループを創造していく決意です」

 協調性を大切にする人らしい穏やかな物腰が印象的な杉脇社長だが、時折、少年がそのまま大人になったかのような無邪気な冒険心、探究心も姿を覗かせる。社内はもちろん、広く業界の内外から注目され、期待されているのは、多くの人がその人柄のなかに大きな可能性を見出しているからにほかならない。新社長としての多忙な日常、趣味のゴルフを落ち着いて楽しむには、今しばらく時間が必要かもしれない。

 

<Episode>

同志社大学には指定校推薦で入学した。現在と違い、推薦入学が限られた秀才の特権だった時代である。「成績上位の女子生徒が揃って女子大や短大に行ったので、私に順番が回ってきた」と杉脇社長は謙遜する。大学では労働経済論のゼミに所属。卒論を書くために関連の専門書を渉猟したが、そのなかにはロボットの台頭など、現在の産業社会を予見するような言説も散見され、大いに刺激を受けたという。真面目な学生ではなかったと自嘲気味に語る杉脇社長だが、当時の学問探究が経営者としての素養を磨いたことは確かだろう。。

明治電機工業[3388]
「信頼」を不変の経営理念として
わが国の産業発展をリード


1920年、モーター修理、電気材料販売を手がける明治商会(現・明治電機工業)が誕生。59年に立石電機㈱(現・オムロン㈱)と特約店契約を締結し、以降、仕入れネットワークを順次拡大。87年、米国イリノイ州に同社初の海外拠点となるMEIJI CORPORATIONを設立。2005年にジャスダック、2014年に東京証券取引所市場第1部に指定。エンジニアリング機能を持った商社として、企業の生産活動における多様なニーズに付加価値の高いトータルソリューションを提供している。2021年3月期の売上高は639億円、従業員数702人(いずれも連結)。

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