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V字回復を経て利益にこだわる真に強い会社へ

岩佐 恭知

岩佐 恭知
Yasuchika Iwasa
代表取締役社長

「異色ある価値」を創造し顧客のモノづくりを支援する

「商社」と「メーカー」の2つの機能を併せ持つ事業構成に加え、世界をリードする顧客企業のモノづくりを、高い技術力で支える企業としても存在感を発揮する日邦産業。社長就任5年目を迎えた岩佐恭知氏は、同社を「異色ある価値」を創造する企業へと成長させるべく、その豊富な経験値を活かしつつ改革を進めている。挑戦を促す企業文化に育まれた岩佐社長の考え方の背景に迫った。

Profile
1959年2月26日、兵庫県姫路市生まれ。81年大阪工業大学工学部卒業。同年日邦産業入社。製造部門で金型技術課長、商事部門で海外営業部長、さらには海外でNIPPO(HONG KONG)LTD.董事長などを歴任後、2013年、取締役就任。2016年より現職。
 

難局で社長に就任するも
着実に成果をあげた


 2022年に、創立70周年を迎える日邦産業株式会社。2018年には本社の名古屋移転、2020年11月、名証2部上場(ジャスダックとの重複上場)と、大きな節目となるようなイベントが続いている。そこに至るまでにとりわけ重要だったのが、2014年度からの2期連続赤字からの復活と、主因となった種々の改革だろう。

 その陣頭指揮をとっているのが、2016年に代表取締役社長に就任した岩佐恭知氏である。難局の舵取りを託されるも、着実な構造改革で成果をあげてきた。しかし、氏が入社してから社長就任までの軌跡は、決して華々しいものではなかった。
 

消極的な少年を覚醒させた
スキーとの出合い


 岩佐社長は、1959年、兵庫県姫路市で生まれた。自動車部品を製造する鉄工所で工場長を務める父と母のもと、2男1女の長男として育った。小柄で持病があり、気弱な性格から同級生にからかわれることもあったという。

 消極的な息子に刺激を与えようと、父親は何度か勤務先の工場を見学させた。しかし、岩佐社長が「理系に進むきっかけにはなったかもしれませんが、当時は特に興味を引かれることはありませんでした」というように、効果はいまひとつだった。

 ところが、高校2年の冬にそんな生活が一変する。母親が近所の社会人グループに頼んで連れて行ってもらったスキーに夢中になったのだ。翌年には大阪工業大学工学部応用化学科に合格するが、志望校選択の理由は「推薦入試の枠があったから」。推薦入試なら秋には進路が決まり、スキーを満喫できると考えたというから、並大抵の熱中ぶりではない。

 大学ではスキー部に所属し、冬は志賀高原、春は立山連峰、夏には穂高連峰涸沢岳の高地に雪渓を求めた。部の渉外担当や、アルバイトでスキー教室の指導員を務めるうちに内向的な性格は払拭され、体力がついて持病も克服できたという。
 

厳しい製造現場で
モノづくりの基本を学ぶ


 日邦産業への入社は81年。スキーに明け暮れていた岩佐社長が、研究室の講師に紹介されるまま受けたのが、同社の面接試験だった。

 最初の配属先は愛知県の一宮工場。プラスチック製品の金型の調整をする測定係や、金型の図面作製、ビデオムービーなどに使う成形組立品の量産立ち上げ等に従事した。

 社員寮が工場から道路一本を挟んだ向かいにあり、不良品があれば休日や深夜にも呼び出され、寮と工場を往復する毎日だった。まだ大卒社員の人数も少ない時代のことで、現場の厳しさを身をもって学んでいた岩佐社長だったが、実は入社時からの希望は営業職。毎年のように異動を願い出て、ようやく希望が受け入れられたのは30歳になった年だった。ただし、工場勤務で身につけたモノづくりの基本は、その後意外な形で岩佐社長を助けることになる。
 

成功の陰に数多の失敗と
同僚たちのサポートが


 異動したアミューズメント事業部では、自社で企画した遊園地の電動カーなどの遊具の販路開拓に励み、同部門初の黒字化を達成する。さらに、大手鉄道会社にトップセールスができる人脈を得て立ち上がった新事業部では、初代部長に就任。コンクリート製の枕木や系列ホテルのユニットバスを受注して、事業の可能性を広げることに貢献した。

 98年にはシンガポール支店に赴任し、海外勤務を経験した。同支店は累積損失1億円を抱えたうえに未回収金もあり、当時の社長には「2~3年やってダメなら閉めてこい」と言われていたが、2年後には黒字転換を果たし、累損と未回収の問題もやがて解決へと導いた。

 こうして書くと、いかにも順風満帆なキャリアに感じられる。しかし岩佐社長は、「私ひとりで達成できた成功はありません。いずれも同僚や力を貸してくれる人がいて、初めて形になったものばかりです」と語る。

 実は岩佐社長は、社長就任までに4度もの減俸処分を受けている。いずれも事業責任者として受けた処分で、責任感から辞表を提出したこともあるそうだ。一方、日邦産業の人事評価制度では、無難な成功よりも挑戦を伴った失敗のほうが評価は高い。同社には、挑戦する人を周囲がサポートする土壌があったのである。
 

現在につながる
シンガポールでの挑戦


 岩佐社長がそのキャリアで特に印象に残っている「挑戦」は、先述したシンガポール駐在時代である。

 英語が苦手だったが、支店には日本語ができない現地採用社員が1人きり。顧客の多くは日系企業だが、技術的な話は現地の従業員と詰めなければならない。それでも対応していけたのは、工場勤務の経験から、図面を見ればおおよその見積もりや問題点の指摘ができたからだった。英語も現地社員の助けと本人の努力で、意思が通じるまでに上達した。

 常に自分の得意を活かしてできることを必死で探すことで、不振事業2つと新事業1つを軌道に乗せることができた。これは、現在の日邦産業の基盤となる事業が、エレクトロニクス・モビリティ・医療/精密機器の3本柱になっていることに通じる。収益の柱が3つあれば、仮に1つが不振に陥っても残り2つで支えられるという考え方だ。

 また、ある工場向けに機器を調達した際には、他社製品も含めた残りの機器もあわせてメンテナンスのレポートをすることを買って出て、最終的に全機器の調達を任されたこともある。岩佐社長はこう語る。

 「そういうひと工夫が好きですね。諦めが悪いだけかもしれませんが、これは性格的なものかもしれません」
 

会社のすべてを見てきたからできる
再生への強攻策


 岩佐社長は、海外営業部長やエレクトロニクス事業本部長(現・商事本部長)などを経て、2016年4月に代表取締役社長に就任した。当時の日邦産業は、2期連続赤字で無配という「どん底の状態」(岩佐社長)。以前から進めていた製造拠点の海外展開(先行投資)によって、費用と収益のバランスが崩れたことが要因だった。

 就任後、岩佐社長は早期の黒字化と構造改革の推進プロジェクトを立ち上げ、役員報酬最大45%カットを含む緊急経費削減や、国内外の複数の工場の譲渡・閉鎖を実施。次いで中期経営計画(2017~2019年度)を発表し、利益と効率を重視する方針と、その重要性を「選択と捨象」*¹という言葉で訴えた。「選択と集中」ではなく、“捨象”(捨て去る)を使ったことからも決意のほどがわかる。その成果は、2016年3月期におよそ3.9億円の赤字だった営業損失が、2020年3月期には12.7億円の営業黒字という数字になって表れた。

 難局にあたり、経験値の高い岩佐社長に声がかかったのは必然だろう。非常時の痛みを伴う決断に社員が納得できるかは、その指示に裏付けがあるかに懸かっている。

 「確かに、営業も工場も海外も経験した私だからできた仕事かもしれません。『あの人が決めたなら仕方がない』と思ってもらえるように、コツコツと続けていくしかありませんね」



 

社員の存在を強みに
「異色ある価値」を創造する


 岩佐社長は、就任時の社内向けの挨拶で、目指す企業像について「社員の存在が強みといわれ、利益と効率にこだわり、社員が一流の仕事をする会社」と述べている。新入社員への講話では、彼らの成長に期待して、「耐えられぬ試練はない。1度や2度の失敗・叱責で悩む必要はない。努力していれば事態は必ず変わる」と、自分の経験を踏まえて、失敗を恐れないことと、GRIT(やり抜く力)*²の重要性を伝えている。

 2020年には新中期経営計画がスタートした。さらなる構造改革が進行中だ。その柱となるのは、経営理念にある「新しい価値を創造する」という使命である。
最近でこそ「価値創造」という言葉にはなじみがあるが、日邦産業には以前からその理念が根付いており、社員の名刺にも「1+1=3プラスαの価値づくり」と記されている。

 1+1=3となるような価値づくり──。岩佐社長はその意味をより明確にするため、新たに定めた経営方針に「異色ある価値創造企業」という言葉を加えた。大きな危機を乗り越えた日邦産業が、「1+1=3」の精神で挑む「異色ある価値創造」に期待したい。


*1 産業再生機構最高執行責任者だった冨山和彦氏の著書『選択と捨象』から
*2  アメリカの心理学者、アンジェラ・ダックワース氏が提唱した、成功するために必要な要因のひとつ、“やり抜く力”のこと


 


<Episode>
海と山の1級免許を取得

スピード感に魅せられて、スキー一色の青春時代を過ごした岩佐社長。大学時代にはSAJ(全日本スキー連盟)の技能テストで、当時アマチュアとして最高位となる1級を取得している。さらにアミューズメント事業部在籍時に、水上の遊具を扱う必要から4級船舶免許を取得したことをきっかけに、1級船舶免許を取得。社長退任後には、社員の子供たちに雪山や海の魅力を伝えたいと考えている。

日邦産業 [9913]
商社とメーカーの両機能を有する事業体制


1952年、東邦カーボン製造所(現・レイホー製作所)の販売部門を母体に、大阪市で設立。日立製作所化学製品(現・昭和電工マテリアルズ)の特約店として各種炭素製品を販売する一方、プラスチック電材・機械部品の研究開発を行い、68年には愛知県一宮市にプラスチック成形工場を開設。「商社」「メーカー」の両機能を有する事業体制を確立した。電気部品、絶縁材料など、取り扱い商材は多岐に及ぶ。87年には海外事業を開始し、環太平洋地域に7つの生産拠点と6つの営業拠点(2020年3月末現在)を展開している

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