アイアールマガジン

IR MAGAZINE
トップの素顔

お客さま本位の企業文化と
安定のビジネスモデルで、
中小企業の課題解決に挑む

山本 文彦

山本 文彦
Fumihiko Yamamoto
代表取締役社長


小規模企業を主対象に多彩なサービスを
展開するトータルソリューション企業を率いて


1995年に三重県で創業した東名は、二十数年の時を経て、全国でビジネスソリューション事業を推進する業界屈指のエクセレント・カンパニーに成長した。小規模企業を主なターゲットに、自社ブランドの光回線や電力サービスを展開する安定の収益モデルこそ、同社の競争優位性の源泉だ。20代半ばで創業した山本文彦社長はまだ51歳。一代で1部上場企業を育て上げた気鋭の経営者の素顔に迫った。

Profile

代表取締役社長
山本 文彦
Fumihiko Yamamoto
1969年12月、三重県生まれ。93年光通信入社。95年、26歳で三重県四日市市に東名通信を起業。97年12月、東名三重(現・東名)を設立。2005年4月、岐阜レカムを設立、代表取締役社長に就任。2014年11月、コムズ取締役に就任。

 

10年続けた剣道を通じて
礼儀作法と実力主義を学んだ


 26歳─。会社員に限らず、どの世界においても、誰もがキャリア形成の第一歩を踏み出す年代である。十分な経験も知識もまだなく、あるのは未来に対する希望と自分の可能性を信じる自信(時には過信)だけといってもいい。そんな人生の揺籃期にある26歳で、山本文彦社長は東名の源流である東名通信を創業した。そしてグループの発展をリーダーとして牽引し、ついには東証および名証の1部上場企業へと育て上げた。なぜ山本社長は若くして起業に成功し、1部上場の快挙を達成することができたのか。

 山本社長は、1969年12月に三重県四日市市で3人兄妹の長男として誕生した。父親の武夫氏は昔気質の厳格な人で「何事も長男が一番」を徹底していたという。食事も風呂も父もしくは長男が先、そんな家庭環境のもとで、山本社長は自分が将来、山本家を背負って立つべき人間であることを否応なく自覚し、責任感を育んでいく。もうひとつ人格形成に影響したのは、幼稚園から中学校まで約10年間、剣道に打ち込んだことだ。

 「剣道に取り組んだことが、その後の人生の大きな糧となりました。剣道などの武道は日常では先輩を立て、何よりも礼儀を重んじます。一方試合では、経験の蓄積や精神面を含めた実力が試される。剣道を通じて礼儀作法と実力主義を学びました。といっても、幼稚園の頃は練習が嫌で泣きながら道場に通っていたのですが(笑)」
 

アルバイト先の出来事で実感した
お客さまを大切にする企業風土


 地元の高校では勉学以上にアルバイトに精を出した。四日市はコンビナートの街であり、近隣にはF1でお馴染みの鈴鹿サーキットもある。ガソリンスタンド、うどん屋、ハンバーガーショップ、サーキット関連など、さまざまなアルバイトを経験した。コンビナートの稼働が停止する盆と正月にタンクや配管の清掃をしたこともある。

 高校卒業後は大分県の大学に進学するが、そこでも生活の中心はアルバイトだった。別府湾に面する大分市にも大規模な石油化学コンビナートがあり、山本社長はガス管工事や清掃、土木など、日払いから月給制まで多彩なアルバイトに従事した。社会に出て一番役に立ったのはアルバイト経験だったと振り返る。

 「ハンバーガーショップで働いていた時、商品をお渡しした後、年配のお客さまがトレイをひっくり返してしまいました。これは自分の責任ではないと思ったのですが、別のスタッフが駆け寄って、大丈夫ですか、新しい商品をお持ちしますと言ったんです。ああ、この会社はそういう企業精神なんだ、お客さまを大切にする文化を持っているのだと、ハッとしたことを覚えています」

95年、26歳で
電話回線の個人代理店を開設


 大学卒業後は、地元の三重に近い名古屋に拠点があること、将来性の高い通信系の企業であること、この2点で店頭公開前の光通信に就職を決めた。新卒内定者とは別の中途可の枠で入社したこともあり、入社早々から第一線に投入され、飛び込み営業に汗を流すことになったが、アルバイトを通じて社会経験を積んでいた山本社長には、それがむしろ心地よく感じられたようだ。「最初のハードルが高く、そこで鍛えられたことが後に東名を創業してから役立った」と山本社長は述懐する。営業成績は抜群で、入社後1年経たない時期に国際電話の事業部で全国トップの実績をあげた。入社2年目には静岡支店に異動し、国際電話事業静岡エリアの責任者となったが、その頃から会社の事業運営方針に疑問を感じるようになる。

 「縦割りの事業体制だったため、扱い品目が限定されていました。国際電話の商談で出向いたお客さまがコピー機の不調で困っていても対応することができません。お客さまのニーズにトータルで応えることが何より大切だと感じていましたから、どうしても納得できない部分が残りました。お客さまの事務所のことはすべてお任せいただけるようなビジネスを自分で起こせば、大手に伍してやっていけるのではないか、そう思うようになりました」

 会社の方針に疑問を抱くようになってから起業までは早かった。95年に通信回線の個人代理店を開設し、翌年には有限会社化、そして97年に株式会社東名三重を設立した。東名三重という社名には、「透明三重」つまり、お客さまに嘘をつかない透明性のある会社にしたいという思いを込めた。2001年には、名古屋を拠点に東京まで制覇したいという気持ちで「三重」の文字を外し、現在に続く社名「東名」となっている。

 

「メンテナンスできない商品は
販売しない」が基本方針


 20代半ばでの起業に不安はなかったのだろうか。山本社長は社会人の最初の2年間で性格や考え方が変わったと語る。それまではごく普通に生きていれば何とかなると思っていたが、この2年間で全力でやりきることの大切さを学んだ。途中で投げ出したら意味はない。やりきれば、次の展望が拓けてくるはずだと。強い気持ちを維持するために、起業については誰にも相談しなかった。

 自宅の部屋に電話を引いただけの個人事務所からスタートした東名は、その後、順調に成長を続けていく。20世紀末から2000年代の初頭は、わが国の通信業界に歴史的な変革が生起した時代である。マルチメディアに対応したOS「ウィンドウズXP」が発売され、ADSLなどの大容量回線が普及してきたのもこの頃だ。東名は急激に変化する外部環境にも後押しされ、業容を拡大していった。商材も順次拡充し、通信端末、レンタルホームページ、オフィス用品通販、保険取次とサービスメニューが増えていく。しかし当時も今も変わらないのは「メンテナンスができない商品は販売しない」という基本姿勢だ。

 「目先の利益を求めるだけなら、売りっぱなしのほうが効率的です。でも、それでは会社は継続的に成長できません。普段からお客さまとコミュニケーションをとり、課題が発生したら、どのような内容でも親身になって解決する、そうした業務姿勢を堅持してきたからこそ、現在の東名があるのだと感じています」
 

フロー型からストック型へ─
ビジネスモデルの抜本的転換を決意


 次の転機は2015年に訪れた。この年、NTT東日本とNTT西日本は、プロバイダや携帯キャリアなどの事業者が両社から光回線を借り受け「自社ブランド」として展開する光コラボレーション事業を立ち上げた。これに伴い、東名でも中小企業向け光コラボの「オフィス光119」をスタートする。それまで東名の収益構造は光回線の代理店販売による一時収入が大半を占めていたが、「オフィス光119」の始動後は、顧客から定期的に支払われる安定収入が中心になる。フロー型からストック型へ、ビジネスモデルの抜本的な転換である。

 「当時、当社には約30億円の内部留保がありました。しかし、新たなビジネスモデルに舵を切った際、支払いサイトなどの関係でキャッシュフローが一時的に悪化したため、メインバンクに12億円の社債を引き受けてもらいました。それまで私は、銀行の頭取や役員に経営状態や事業戦略を正直に説明する、撤退すると断言した赤字事業からは約束通り迅速に手を引く、といったことをしていました。そんな私の行動を銀行では高く評価してくださっていたようです。そのため信頼関係を築くことができていて、社債を引き受けていただけました」

 東名の軌跡を概観すると、順風満帆に発展してきたという印象が強い。しかし実際は山もあれば谷もあった。そして困難な状況に直面した時、苦境を救ったのは山本社長が長い時間をかけて培ってきた信頼と信用だったのである。
 

全都道府県に拠点を擁する
トータルソリューション企業へ


 東名は今も進化の途上にある。従来は小規模企業をメインターゲットに据えてきたが、今後は中規模企業も視野に入れていく方針だ。また、顧客満足度の飽くなき追求のため、いずれは47都道府県にサービス拠点を置きたいという。

 「アクセルとブレーキを同時に踏むことができるのが私の強みかもしれません」。そう語る山本社長は、大胆さと繊細さを兼ね備えた稀有な経営者のひとりだ。その手腕に対する周囲の期待はますます高まりつつある。東名の新しい挑戦が始まろうとしている。

 

<Episode>

山本社長の座右の銘は「正面突破」だ。進学、就職、起業、ビジネスモデルの転換、上場など、人生の転換点においては常に正攻法で状況に臨み、新たなステージを切り拓いてきた。インターネットやSNSが社会に浸透・定着している今、嘘をついたり、隠しごとをしても本当のことはすぐにバレてしまう。お客さまはもちろん、銀行や自社の従業員に対しても、常に真摯に正面から向き合うことで初めて道が拓けてくると山本社長は強調する。正面突破……多くの示唆を含んだまさに至言といえるだろう。

東名[4439]
自社ブランドの光回線を中心に
ストック型の収益モデルを確立


1995年、三重県で個人事業として創業。97年、東名三重として株式会社化し、2001年、株式会社東名に商号変更。通信キャリアの代理店として着実に成長し、2015年、自社ブランドの「オフィス光119」のリリースを機に、ストック型のビジネスモデルに転換する。光回線インターネットを中心に、各種オフィス機器、電力サービス、保険など、多彩な商品・サービスを展開し、主として小規模事業者の経営課題に最適なソリューションを提供している。2020年8月期の連結売上高は115億円。社員数は2020年8月時点で329人(連結)。
 

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